非効率的なことを捨てていくという価値観。
上司が、私の先輩で全然仕事できない人を正社員にするって言い出して、何言ってんだこいつって思いました。
私も今非正規なんですけど、私の存在は最初からないことになってるんすかねと。まず私に話を振ってくるんじゃないのって。国家資格も持ってるわけだし。
福祉って人並みに、普通に仕事ができない人が多いんですよ。
だからごくごく平凡に仕事できるだけで、人より出来る人になっちゃう。
その平凡な人なんですけどね、私。
30までには正規に戻らないとあぶねぇなぁと思っとります。なんせ天涯孤独だし。頼る人いないし。
なんだろうね、日本が安定していた頃に仕事し始めた人って、なんで精神論で動くんだろうね。効率性とか考えられないみたい。
その人が人並みに仕事出来るようにするのって、多分10年位かかるんだと思うんですよ。それはそれで仕方がない。マルチタスクが出来ない人だから。
それをできるようにして、正規に上げたいとか言い出しやがって。
それやるの現場だよねって。これ以上組織にとってマイナスになるような無駄仕事増やすのかと。
それをすることで、普通に仕事できている私のモチベーションをガリガリ削ってるんですよね。
それを実現することで何をしたんだか。
てかそもそも給料を上げたいとか言うが、実家住みでそんなに金いらんやろと。都心で車持ってるような裕福なお家なのに。
こちとら自分ですべて賄ってんやぞ。
解せない。
でも辞めるにも理由がいる(てか引き止めに絶対合うから、それを言わせないための予防線を張りたい)ので、そこら辺を今年はきちんと考えていかないといけないなと思います。
そのためにはまずは引っ越しして、少しずつ離れていくこと。
で、家の近くでより良い条件の会社を探すこと。
もちろん条件だけじゃなく、中身も。
そうやって考えていくとね、やっぱり現状維持に甘んじてしまいそうな自分を発見する。
今のところ、何も困っていないんですよね。
その、男ってだけで優遇されそうになってることとか、女性の多い会社なのに、かなり男社会の空気が流れててうざいとか。そういう精神的に時々ものすごい苦痛を感じる以外は。
前の会社は女性こそ主役であると、女性の管理職ばっかだったし、それがすごくやりやすかったわけで。
うーむ。よく分からなくなってきたぞw
いつもそうだな、こうやってダラダラ思考するだけで終わってる。
とりあえず、空気が変わるときは変わるのだ。
本気で辞めたいと思ってない時点で辞めないんだろう。
後はタイミングだな。
少しだけで良いから、何か動いてみようかな。
少し、視野を広げてみようか。
需要はものすごくあると思うんだよね、自分に対しては。
今の会社は何となく長くいちゃったけど、前の会社は欲しがられて貰ってくれて、だから周りからすごくサポートされてた。自分も新人教育をたくさんさせて貰ったりしたしね。
やっぱり「欲しい!」と思ってもらわれた方が幸せなのかもしれない。
今の会社ではあんまり必要とされてる感じしないしね。
実力じゃなくて、仕事できなくても社内政治で良い顔できる人が評価されるわけだし。
うむ。必要としてくれる会社があるはず!と思いながら動くことだ。
ずっと違和感あるし、今の会社。
お見合い感覚で、少しずつ動きましょう。
そういう「意識をして動く」ということが人生では大切だと、自分は思うわけです。
ただ何となく過ぎ去ってしまいがちだけどね。
がんばろう。
今年一年を振り返ってみる
いや、そこまで細かくやりませんけどね。
そもそもこのブログは彼女との別れ際に、どうにも行き場のない怒りをぶつけるために開設したのでした。
ネットストーキングされて、ブログやSNSを閉じてしまったからね。
その後、多分自分が病んでたせいか、病んでる人が集まってきて、夏頃までエライ目みました。職場もセクマイ界隈もね。
更にSNSを閉じたw
でも、それで思考を流れるままにツイッターに載せる生活から脱して、精神的に安定しました。10月くらいからモヤモヤが高まって、11月くらいか?12月?突然、山を超えたら楽になった。
今日、仕事終わりにプチ忘年会をして、なんかの話で彼女(彼氏と言い換えますが)の酷さをちらっと話したら「そりゃ病気になるよね」とさらりと先輩に言われ、あーやっぱ去年の年末年始、様子がおかしかったんだ自分と気づいたりしましたw
カウンセラーさんのセミナーに行ったのがちょうど一年前だなぁ。溜め込んだものをすべて発散してましたね。
あと夜の街に繰り出して、バーのマスターとかに怒りをぶちまけたりした。
うんうん。
今年一年で、生きる希望を失って、何のために生きるのかと自問自答して、生きるのが冷静に辛くて、山超えて楽しくなったな。
安定した状態で30代になれそうです。
仕事がイマイチなのが解決しないままでした。
うーむ。どうすればいいのか。
それはまた眠くない時に。
仕事終わり、帰って10時。そこから4時間おせちを作って、眠気が来ないのでブログを書いてましたが、眠気さんがログインしたので、閉じます。
実況中継かよ。
人間関係もあと一歩良くなったらいいのにな。
あ、お金ない問題が解決したのもでかいかもしれない!どっかの国でうつ病患者にお金を処方したら、何割かが治ったって聞いたけど、それはありうるよなと思った。
家の更新料すべて払い終わったら精神的に楽になったもん。
さぁ寝よう。明日は忙しい。
今更きみはペットにハマる俺。
原作ね、原作。
- 作者: 小川彌生
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/09/28
- メディア: Kindle版
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まさに「おまおれ(お前は俺か)」状態!
好きな人にはいいとこ見せようとして、疲れるばっかり。
わがままでマイペースな子だと素で付き合っていられる。そういう人とは付き合わないけどな!まさにペットのように愛でるだけだし、それで十分。
好きな人と住んでも、我慢ばっかで続かない。相手は満足したり、落ち着くとか言われたり。こっちは疲れるだけですが。
だったらもう1人でいいかと。
あと完璧主義だし、仕事が半分趣味だから、それゆえ厳しくなりがちで、ちょっと(いやかなり?)敬遠される。それでも一匹狼でいられるくらいのメンタルの強さがあるからタチが悪い。
でも実は男性的な趣味を持ってたり。自立心が強いから相手が怯むなんてのは日常茶飯事。
どれもこれもスミレちゃんに共感できるんだけど、それってつまり、どれだけ自分が非モテなのか、なぜ非モテなのかを突きつけられるんです。
そしてそうやって自分が解明されるのが楽しくて仕方がないという、やはりメンタルの強さな。
ペット必要かも(´・ω・`)若い男じゃないやつね。リア獣の方な。
この漫画のおかげで、不便なところに住む決心が固まりそうだわ。都心はペット可物件高いのよ。
まだ3巻までしか読んでないので、少しずつ読みたいと思います。
ちなみに今キンドルで3巻まで無料です、多分。期間終わってなければ。
最後にメモ書き的に今読んでる漫画を。
聖☆おにいさん これは2巻出たくらいから読んでる。
荒川アンダーザブリッジ こないだ初めて1巻読んだ。聖おにの中村光さんの、多分有名な方。
バクマン。 デスノはダメだったけど、これは楽しい。現実的なのにジャンプっぽい展開がいい。非現実的なのがたまらん!
少女革命ウテナ 1回読んだはずだが全く記憶にない。アニメと映画は覚えてるが。でもアニメの後半は多分見てない。見たい。
きのう何食べた? これはまだ買ってないけど、また読み返したい。愛がなくても喰っていけますというよしながふみさんのエッセイ読んだせいだ。俺の中のグルメマンガ2大巨頭。もう一つはワカコ。
他にもあるかも。銀の匙、3月のライオン、君に届け、くらいかな?
スラムダンクとか、ジョジョとか、名作にも手を出したいなぁ。ぼのぼのアニメ化するから、原作読んでみたいし。読み損ねてるのいっぱいあるんだぜ。
苺ましまろとか、ARIAとか、英國戀物語エマとか。
時間と金が足りない!!年末年始はいろいろ楽しむぞー!映画も借りたいやつばっか溜まってくぞー!とりあえず今はテレクラキャノンボール見たい!
うん。いいわ、非モテで。見たいものが多いもん。もし万が一自分とツボが合う人がいたら考えよう。人生何が起こるかわかんないからね!
現代の若者は懐古厨である。
斜め読みですけど、この本を読んでいます。
日本初! たった1冊で誰とでもうまく付き合える世代論の教科書―「団塊世代」から「さとり世代」まで一気にわかる
- 作者: 阪本節郎,原田曜平
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2015/10/02
- メディア: 単行本
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そもそもバブル世代(今の40代くらい)にいじめられたり、色目使われたり、仕事出来ずに迷惑かけられたり、呼吸するように嘘をついたり…マジ意味不明!とキレて、世代論系の本を読み始めたんですけどね。
面白かったのは上の世代の解説部分ではなく、自分の世代の解説部分。私の周りの多くもそうであるように、結局自分のことにしか興味ないんですねwそしてそれが楽しい。
私は区分で言えばさとり世代(この本では83~94年生まれ)ですが、このさとり世代、未来に希望を持っていないから潜在的に懐古厨ということが書かれていました。
少し前に流行った『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』というアニメ作品がありまして、どうやらこれが懐古心をくすぐる作品だったそうです。
友達に全話見させられたんですけど、小学生の時に周りがポケモン、女の子はジャニーズ(キンキキッズ全盛期でした)に夢中になる中、深夜アニメと深夜ラジオ、ビジュアル系バンドに傾倒していた自分にはさっぱりわからなくて、それが実に解せませんでした。
が、その世代特有の思いなんかを上手くくすぐるものだったのかなと思いました。友達も学校外やクラス外の子が多かったしなぁ。
あの花には何にも感じなかった自分ですが、涼宮ハルヒの憂鬱やとらドラには妙に懐古心をくすぐられたなと同時に思い出しました。ああ、この気持ちだな。この気持ちをくすぐられるとつい追いかけてしまうのかもしれない。
ハルヒの場合は、何にもない部活の部屋。そして文芸部という名をつけていても、やることは全然別のこと。ハルヒは更に部長が神だったり、部員が超能力者だったりするんですが。この日常的空間の中に非日常が隠れているのが楽しいのですね。
私自身も高校の時に文芸部に所属しつつ、文芸部としての活動はせずに哲学的な議論に花を咲かせたり、皆で互いに変なアダ名をつけたり、バドミントンをしたり、謎ルールのゲームを創作したり、ハルヒ達のような遊びをしてたせいか、妙にこの作品が好きなのです。
特に好きなのが一期のサムデイインザレインで、なんてことない冬の日の部室を長回しで撮ってるような平和な回。これは原作にはなく、小説では表せない、映像でしか見られないような回でした。
廊下の向こうから聞こえる演劇部の練習の声とか、誰もいない部室に入った時の寒さとか。大騒ぎしたあとの静けさとか。
自分に思い当たるエピソード記憶が喚起されるのが楽しい。
とらドラも、高校生ならではの、好きになったら結婚するんだと思う狭い思考回路とか、後先考えないところとか、当時は恋愛でドロドロしてると思っていたけど、今見てみれば青春そのものだった!と思い出す面白さがありますね。
深夜に家を抜け出したり、学校に行って、保健室で恋愛相談しながら泣いたり…あの時にしか出来なかった恋愛を思い出すから、とらドラ大好き。
今は恋愛すら良いや面倒くさい。結婚?誰が他人の介護なんかしなくちゃいけないんだボケが。みたいな感じで、すっかり現実的になってしまって寂しいね(´・ω・`)自分の時間は自分のために使うもの!自分のお金も自分のもの!
日常系アニメが流行るのも、結局、高校生の時の日常を思い出して楽しいっていう若者独特のものにうまくマッチした結果なのかもしれん。
あと同世代と遊ぶと全然お金使わなくて、それで楽しいよね。だからもう年上とは付き合いたくない。金遣い荒すぎ。だから職場の飲み会も結構平気で断る。
お部屋でコンビニで買ってきたお菓子食べるとか、鍋するとかで十分なのだよ。それがとても楽しいし、幸せだ。一緒に趣味の合うDVD見たりとかね。
夜景の見えるレストランとか言われても、夜景じゃお腹いっぱいにならないし、お行儀よくしてるの疲れるしね。夜景見たけりゃ東京タワー上ればいいよ。
でもこの本に書いてあったようなインターネットで繋がる、周りの目を妙に気にするってのは、うーん…確かに若い時はそうだったかもしれないけど、基本的に自分の周りは自分の趣味を持ってたり、他人に興味ない人ばっかりなので、私にはあんまり当てはまらないなと思った。で、趣味が合わなくても仲良くなれるくらい関係が希薄。で、それくらいの希薄な関係、距離の開いた関係が心地いいね。深くは繋がらない。でも本音はあけっぴろげに言う、みたいな。日本人らしくオブラートに包みまくる関係ではないというか。
うーん…なんだろう。いろんな個性を認める社会だったなと思う。それはイコールそんなに他人に関心がないってことだと思うんだけど。同調圧力がないコミュニティに私は小さい時からいるから、同世代から浮いちゃうんだと思うけど、自分の好きなことが確立しているってことで繋がってる感じがするんだよ。
私はアニメが好きだったり、読書が好きだったり、掃除が好きだったり、猫が好きだったり、一人遊びが好き。お笑いも好き。詳しくないけど。でもマニアック過ぎてたいてい話は通じない。ブルーリバー好きな人にあったことないしね。
でもその「何か好き」っていうメンタルがある人と繋がっている。だから無趣味の友達はいない。本人は無趣味だと思ってても、他から見れば十分こだわり持ってる人ばかり。
別にその中で無理やり同じものを好きであろうとはしない。話が通じなければ、それでいい。多様性が面白いね、で終わる。それが心地いい。
だから、無理やり同じ所属にしようとする結婚制度や恋愛は自分自身ではないと感じてきた。誰かと足並みを揃えるのではなく、相手の個性を認めて見守ればそれでいい。
むー。だから会社で、私は周りに合わせないけど、周りが自分に合わせて来る感じがして、それが気持ち悪い時があるのかも。日本人は他人の顔色見過ぎだよ。自由にいこうよ。
そして恋愛でそれをやっちゃうから、相手を自分に依存させちゃうんだよね。自分は無意識だけど、自分らしさを折らないから。相手はそれに合わせてこようとするから。
うむ。何かを好きな気持ちを知っている、という共通の価値観が心地良いんだろうな。懐古心と仕組みは一緒な気がする。
うーむ。でもやっぱり世代論って難しいや。ものすごい沢山の価値観の中から共通項を見つけるのって大変。多分その共通項って微々たるものだからね。
ミクロな視点で見ると共通項は見つからず、マクロで見ると決めつけになりがち。実態がないことを探すのが、世代論なんだね。それ自体が無意味なのかもしれない。
でもまだもう少し勉強してみる。楽しいから。
愚痴らないと、静かだけどイライラもする。
なんだろう、この現象。
環境が今とても良くなって、愚痴が減りました。
SNSもいろいろ辞めました。
mixiは元から放置なんだけど、ツイッターもお笑い情報収集用のだけ残してログアウト。PCからはアプリ削除。フェイスブックはもうそろそろデータが消去されているだろう。インスタは投稿はせず、猫画像のみチェック。
で、家で3年ダイアリーを書くのみ。
うーむ。
すごく平和ね。あんまり日々、何かを考えるという作業をしなくなった。
でも、何かがイライラもやもやして、どうしたものだか。
発する言葉と本音のズレを感じます。
時々これはあって、そのズレにすごい不快感を感じます。
その不快感からイライラになったりする。
人ともっと話したほうがいいのかなって不安になる。
仕事は人と話す仕事なんですけど、別に自分自身の話をするというよりは、相手の様子を見たり、相手の話を聞くのが主なのですよね。
発信したいのかなぁ。
よくわかんないや。
多分、ガラクタ捨てを集中的に行って、ある程度捨てきって、次のスタートの前なんだよね。
ぼーんやりしてます。
毎日が夢の中みたい。
まぁ、寒くなってきたからね。冬はいつもそう。頭が全然回らなくなって、ひたすら寝て、だらだらするの。
本能に忠実なんです。暖かくなるまでは、こんな感じでのんびり過ごしていくでしょう。
きっと収穫の秋が終わってしまったんだと思う。
おかげさまで、幼なじみとのイベントが年末にいくつも控えているので、それを楽しみに、マイペースに年末の忙しさを捌いていきたいと思います。
そうだよな、寒いからね。冬眠の時期に入ったってことだね。
のんびり、ゆるゆる。ほかほかしながら、無理せずに乗り切ろう。
ビジネスホテルが好き。
あのそっけない感じが好き。
狭くて、ものがなくて、落ち着きます。
来月、久々にビジネスホテルに泊まるだけの旅行に行きます。近場。
ついでに買い物したり、映画も見れればみたりしますが。
ビジネスホテルに泊まって、ビールとか日本酒をちびちび飲みながら、テレビ見たり、ネットしたり、Kindle読んだり、新聞読むのがすごくすごく好き。
なんであんなに落ち着くんだろうね。
普通の旅行でも、あえてビジネスホテル選ぶこともあるくらい。
鎌倉は年3~5回行くので、何件かリピートしてるビジホもあります。
田舎のビジホの、自販機がカップ麺やらパンやらやけにバラエティ豊かなのも、とても良いよね。ビールにチューハイ、ノンアルコールビールもあったりして。
でも基本はコンビニで何てことないおつまみ買って、一人でダラダラ食べるのが好き。
オッサンなのかもしれないw
お金貯めてシティホテル行くほうがいいんじゃない?と思うんだけどさ。
あんまり好きじゃないみたい。人と泊まるならいいけどね。椿山荘なんかはお散歩できるし、ティーサロンも良いし、夏は蛍見られるし、それはそれで楽しいけどさ。
あの簡素な感じこそが贅沢と感じるんですよ。高揚感を感じる。豪華できらびやかなものって、何となくつまらないというか、あまり心躍らない。
他の人の浮かれた空気に心が醒めるのかもしれない。
お、近くに銭湯あるらしい。そこでお風呂入って、お風呂あがりにお部屋でお酒を飲もう。楽しみだ。
シンプルなもの、飾らないもの、そういうものに心惹かれるみらいです。
ショック療法。
仕事でミスって、大泣きしました。
別に人が死んだとかじゃなくて良かったけど、被害妄想とか、人間不信とか、いっぱいいっぱい出ました。そして熱も出ました。
そうしたら、視界が拓けたような気分になって、今まで仕事でなぁなぁでやってきたところ、手を抜いて、出し惜しみしていた癖を一つ一つ認識し、潰していけるようになりました。
すごい。
私のせいじゃないのに、どうして私だけを悪くいうのー!?
っていう小さい時の感情が蘇ってきて、とてもとても辛くなりました。
でも、その辛さを次の仕事で挽回することができて、そして次の課題も手に入れることができて、この壁は次のステージに上がる前に、一度落ちるっていうあれだわ、と思いました。
いろんな成功法則や、成功者の体験の中によく見受けられるものがあります。
「成功の前には必ず落とし穴がある」
例えば人気商品の生産量を上げようと思ったら、工場が潰れた、とか。
会社の業績が上がってきて、忙しくなってきたら、配偶者から離婚話をもちかけられた、とか。
本当にやりたいことをするために仕事を辞めようとしたら、周りの人から強く止められたとか。
受験直前の模擬試験で、今まで順調だったのに不合格圏内に入った、とか。
転職が決まったら、入社前にその転職先が倒産したとか。
それらが起こる理由で私がずっと覚えてたのが、多分本田健さんの講演会で聞いた「その逆境は、より高く飛ぶために必ず必要な上昇気流です。それでもあなたは本気でその夢を実現したいのか、試されているのです」って話。
だから、その逆境に負けずに進めた人が成功できるんだよって話でした。
でも、今回の自分の落とし穴はその上昇気流としての役割もありながら、もう一つ重要な意味が含まれていたと気づきました。そしてそれはすぐに分かりました。
「より高いところに行くために、捨てなければいけないものがありますよ」
そういうメッセージでした。
現場の中で、どんどん先輩になっていって、たいていの人は辞めていって、教える立場になってしまった。
前回書いたはず。実力がないのに、上司になってしまって、多分驕りがあったんだと思います。でも事実、自分が注意したり、引っ張っていかなければ現場が回らないこともあるんですが。
実力以上の自分でいようとする驕り。そして広がる違和感。それを是正したくても出来ない焦燥感。
それを捨てるための出来事だったんだなと思いました。
以前は上司と会話してても、分かったような口を聞いてました。上司より専門知識があるし、経験もあるっていうところにあぐらをかいて。
でも、やっぱり私はまだ若造で、人間性もまだ全然お子様で、いざとなったらパニックになるし、うまく立ち回れない。まだまだ上司から育ててもらう立場にあるっていうことを、今回の失敗で顔面に叩きつけられたような気持ちに、それはそれは大きなショックとして心に刻まれたわけです。
これって大人になるプロセスなのかなーと思います。
いや、大人なんだけどさwでも大人って自覚は全くないよ。きっと死ぬまでないよw
つまり、若い人ほど自分を年寄りだと思う。
それは視野が狭いゆえに、何にも見えてないくせに「もう先が見えた。このまま進んでもどうせダメだ」と早合点したりね。
逆に視野が狭いからこそ「俺はお前らより知ってるんだ。できる人間なんだ。俺が教えてやる」と自分の実力を見誤って、偉くなったような気でいるとか。
大人になる(年を取ることではなく)ことは、等身大の自分でいるってことなのかもしれない。
自分はまだこれだけしかできない。まだまだ知らないこと、勉強し足りないことだらけだということを知る。
卑屈になったり、驕り高ぶったりせず、じゃあこれを補おう、ここはあの人に頼もう、と出来ることを淡々と片付けることが出来るようになる。
そうしてコツコツ進んでいく。
自分も人も信用しない。確固として間違いなく確実な完璧な人間なんて、自分を含めて存在しないんだという「事実」を直視出来るか。
その「事実」を直視した上で、じゃあどうすれば良いんだろうか、と工夫していく。
もうそれだけで人間としても、仕事をする上でも、十分なんだと思う。
完璧な人間であろうとしない。相手にもそれを求めない。だから楽しんで一つ一つの不完全さを補えるようになるよう工夫をしていく。
そうやってシンプルに生きていけたらな、と感じました。
今までいろいろごちゃごちゃ考えてきたものが、ショック療法で外れて、捨てられました。
今もまだ苦しいし、悲しいし、悔しいけど、不完全な自分を責めずにそのままを見て、ここから出来ることは何かを必死に考えていきたいと思います。
新人になったつもりで、また一から、謙虚に、がんばろう。