楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。フレイロマンティックアセクシャル。ノンバイナリー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

私も仕分けられました。

博多華丸大吉の大吉さんが若手のネタのダメ出しをするライブに行ってきました。

 

今、自分が仕事に対してぶつかってる壁を壊されたような気分。

 

どんな仕事でも、他の人と差をつけるには、普通の人が「まぁいいか」と妥協してしまうところで、踏ん張ってこだわっていくしかないんだなとビシバシ感じました。

 

今の会社にはその会社しか知らない人ばかりなので、自分が出来る人に見えている。でも、私は前の会社の先輩の位置に立てているかと言ったら、全く立ててない。でも上から引き上げてくれるような先輩もいない。

周りからの評価の高さと、自分の中の「自分はそんなに評価されるような場所にはいない」という自己評価のギャップが辛くなっていて、でもなんとなく毎日を過ごしてしまって、ダメだよな、でも何から始めよう、とモヤモヤしていました。

 

自分だって改善しなくちゃいけないところだらけなのに、上司が専門性を欠いた人なので、自分が先に提案したり(それでもすぐには分かってもらえず、何人もの人を毎回巻き込まなくてはいけない)、他の専門家に相談したり、調べたり。部下に教える仕組みを作りたくても、上司はわかってくれないから、一人でやらなくてはいけない。

 

多分、それが結構辛いんだということも分かった。

ド素人集団の中で、孤独だったんだ。わかってくれない人に理解させるなんて、そんなめんどくさいことはしたくないし、私が努力してもやっぱり理解なんてできないことも多いしね。

 

その中で専門性を上げる必要はあるのか。余計、自分が他の仕事を背負い込むことになるんじゃないか。だったら最初から努力せず、今の場所でそこそこやっていけばいいんじゃないか。

 

そうして沢山手を抜くことを覚えてしまった。でもそんな自分が嫌いだった。ホントはもっと実力があるのに、それを出し惜しみして、仕事で全力が出せないから本気で楽しめない。楽しくない。中学生になっても、ひらがなドリルやってるようなものですから。ホントは高校受験用の漢字ドリルが欲しいのに、自分で「いらない」って遠ざけてた。

 

でも、大吉さんのほんのささいな所に注目して、そこをとことん研究して、勉強していく姿勢をストレートに感じて、「誰のための努力?」って思ったのです。「誰のための手抜き?」って。

 

誰かに評価されるため、または誰かに評価されないから。だから努力したり、手を抜いたりするんだろうか。

そうじゃなくて、これは自分自身、ズルしたり、手を抜きたくなる自分との戦いなんじゃないかって。そうして自分が納得して出すものなら、上司も「うちのサービスは良いものだ」と思って、営業にかけられるんじゃないか。より売れるんじゃないかって思ったのです。そうしたらみんながハッピーになるでしょって。

自分が周りを引き上げる。自分だって低いけど、でも5ミリずつでも良いから、少しずつ上がっていくしか道はない。簡単に上がれるようなところなら、簡単に下がってしまうから。芸能界も、他の仕事もそこは同じだと思う。

細かいところにいかに全力を注げるか。こだわれるか。泥臭い地道な努力を諦めずにできるか。

 

上司が引き上げてくれるんじゃなくて、自分が上司を上げてやる部下がいい部下だって、話に聞いてただけで、全然腑に落ちてなかったなーって。

そういうことだって。そういうところまで考えられるか、それともなぁなぁでやって、そこそこの働きをして、給料だけ貰ってれば満足なのかって。

 

まずは気持ちね。気持ちの部分から変えていく。今までの妥協して、見えなくなっていたところをきちんと気づいて、見える化する。

 

もう1年くらい?いや…今の会社に入ってからだな。

なんでもかんでも妥協してきたんだと思う。見ないふりをして、我慢している方が簡単だもん。

 

ここで苦しいけど光を当てて、自分の人生を1から組み直さないといけないかも。

 

ん?この状況ってどこかで見たことあるぞ、と思ったら、10年前なのね。

その時も物を捨てたら、少しずつ自分と向き合うエネルギーが湧いてきたんだっけ。

 

掃除の力ってこういうことだと思う。

 

そうだそうだ。断捨離とかミニマリストとか、流行になるのはいいけど、それに違和感を感じてたのはそういうところだ。

自分の周りの環境を整えるってのは辛いことだと思っているからね。見なくてもいいことまで見えるから。そこに向き合えないタイミングだったら、無理してやらなくても良いと自分は思ってるから。

 

成長することは楽しい。楽しいのは楽ちんだってことじゃない。苦しいことも含めて楽しめるかってこと。人のせいにして「できるフリ」をするんじゃなくて、「本当にできるようになる」と楽しい。

 

物が減れば、自分の頭で考えて工夫して暮らす、毎日のメンテナンスをきちんと行うっていう大変な作業が待っている。妥協せずに選別するという作業も、結構大変だ。

 

こういうのを人に言うと「あなたは強いから」って言われて、またやっぱり孤独で、苦しくなるけどね。自分の強さゆえに余計苦しくなることもあんのよw誰かに依存して平気だったら良かったけど、そうじゃないから。

 

また自立具合が増えたら、もっと孤独になるけど、でもそうして生まれてきたからね。仕方ないね。

 

心のなかでの親友として、又吉さんとか、大吉さんとかを思い浮かべながら(別に漱石でも芥川でも太宰でもいいんだけどw)がんばっていきたいと思います。

 

そういえばガラクタ捨て後の大学生の時は、素直に全力でバイトしてたもんなぁ。それで結果的に売上も妙に上がったりして。あの現象をまた起こすぞ。

世代論たのしい。

最近のブーム。いや、もう何度目かのブームなんですけど。世代論を勉強したいわ。

 

以前どっかで書いたと思う、職場の40過ぎのオッサンが自爆してました。もうだめだな。社会的に。

 

40過ぎは私の中ではオッサンではないですが、絵に描いたようなバブル世代なので、あえてそう言ってます。馬鹿馬鹿しすぎてだな。

 

劣等感が強いけど、実力以上の自信と謎の楽観視があって、見栄を張るために嘘つきまくり。それで自分の首を締めて、中身の薄っぺらさを見透かされて誰からの信頼も得られない。こういうことですな。

 

それが20代ならね。ちょっと尖ってる、劣等感があるぐらいが成長するパワーに変えることも出来るんだろうけど、40半ばになって、すぐバレる嘘ついて会社の不利益になるようなことを何度も何度も繰り返すって…なぁ?

 

もちろん、どの世代にもそういう人間はいると思うのだよ。でも、あまりに45~55歳くらいの人間に多すぎる気がする。強烈過ぎて多いと勘違いしてるのかもしれないけど。同時にその親世代も似たような人多いよねぇ。

 

50代半ばくらいになると急にいなくなるんだよね。団塊ジュニアだけ何だか浮いていて、ついていけない。同世代についていけないわっていう団塊ジュニアとは仲良し。

 

 

人に教わるのが苦手。相手が自分に合わせてくれると思ってる。人(年下、男性なら女性、女性なら若い女性、有名人など)を過剰に見下し、自分は「こんなに分かってるでしょ」アピールをするのだが、口では自分を落とすようなこと(もちろん本心ではなく)を言って人から責められないよう予防線を張る。

過剰な自信があるため「こんなことも出来ないの?」「こうするのが『常識』(この単語大好き)でしょ?知らないなんて何て非常識なの?」ということを、本人に匂わせる。または自分へ好意的でコントロールしやすい人間を捕まえて「あの人ってこうなのよ…」と裏で手を回す。

コントロールしやすい人間にはいい顔をする。で、取り巻きを作って、自分の責任の所在を曖昧にするのが得意技。個人に対して集団で責めたりする。

 

あー、何か色々嫌なこと思い出してしまったw

 

そのパターンに気付いたのは大学生の時。

 

今回のオッサンは頭が悪い人だったから、誰もそいつの味方はいなかったので事はスムーズにいきそうで良かったです。

でも下手に頭が良かったり、カリスマ性があったり、外見(名誉とか)が良いと、標的にされた時にめんどくさいんですわ。おかげでそいつがいる街全体も大嫌いになりましたw

 

依存心の塊なので、自立心のある人間は標的にされやすい。

 

私だけではなく、そういう話を友人、知り合いからも多く聞くようになって、その知識が蓄積されて、世代論に行き着いたわけです。

 

あまりに理不尽な生き物なので、そうなってしまった理由を知って、すっきりしたいのかもしれませんw

 

社会状況が恵まれていたから、何しても上手くいって、お金が貰えた世代なんですよねぇ。環境のおかげで上手くいったことを自分の実力だと勘違いしてる。物やお金を多く持っていれば自分は上だというよく分からない価値観。逆だと卑屈になったり、劣等感をこじらせて、恨みつらみの塊に。

そういえばうちの親もギリギリ入ってます。

 

おおお、そっか!親の思考回路が嫌いだから、同じバブル脳が無性に嫌いなのか!(゚∀゚)

 

スッキリしたwそうかそうか。親の価値観が馬鹿馬鹿しくて、ムカついて、いちいち見下してくることへの怒りがまだ残ってるから、似たような人間を見るとこんなに反応してしまうのか。

 

ほうほう。そうしたらもっと怒っていいのだ。怒りが出てこなくなるまで吐き出すのだ。

 

おまけ。

バブル世代の考え方・行動がひどいと話題!! - NAVER まとめ

 

多分、自分の価値観とか悪い所もバブル世代とかぶるところがあるから、余計ムカつくんだろうな。同族嫌悪だ。

買うことでシンプルに。

テレビ台を買いました。買ったら、逆にテレビ視聴減ったんですけどねw

でもお笑いとか、マツコさんの番組とか、映画とかをまとめて見ることがあるので、一応まだテレビは手放さずにいます。ゲームでも始めれば良いんだろうけどね。

 

今までは木製の小さい花瓶置きみたいなものに置いて、細々したコード類もブック型小物入れに入れて、バラバラに床に置いていたんだけど、床掃除が不便でした。あとコードもごちゃごちゃになってた。

 

背面からコードを出せる、カラーボックス型の小さいテレビ台にしたので、背面にコードを隠すことが出来て、逆にスッキリしました。すごく嬉しい。ホテルのような部屋という目標なので、すこし近づいた気がします。

 

 

ガラクタ捨てをしまくったのに、物はどんどん買ってる気がします。

 

無印のプラケースの上に置く為の板も購入しました。

あと生ゴミ用のシンク下に入れるミニゴミ箱。それまではふた付きのゴミ箱でした。

あ、そこまで買ってないかwあと無印のフェイスタオル。それくらいかな。

 

高校生の時が汚部屋ピークだったんですが、その時は物が多いのは収納がないからだ!とばかりに収納用品や壁につける棚とかを買いまくってたことを思い出しました。

そして物を増やして、全然片付かない部屋にうんざりしてました。

 

物を減らしてから収納用品を買うからこそ、生かされるんだと思います。

 

「まずは捨てろ。話はそれからだ」

 

10代で出会った2chの掃除板での名言です。

片付ける前に収納買いたくなっちゃうんだけどねwまずは収納のない状態で過ごしてみて、考えて、調べまくって、そして吟味して購入するのが良いんだな。

 

今までは突然人が来たらお招き出来ない状態だったけど、今は急にエアコン壊れた!明日電気屋さん来ます!ってなっても大丈夫♪

疲れて家に帰って、げんなりしないって何て素晴らしいんだろうと思います。

 

あー、でもまだ捨てられるなー。少しずつ捨てよう。

ガラクタ捨てを振り返る。

すごい勢いで捨ててます。30リットルゴミ袋15袋くらいか?先月末から。

 

ちょっと使いづらいけど我慢して使ってたものとか、代替できるものとか。

小学生の時から使ってた裁縫箱も捨てて、針と針山だけにしたり。

 

本は結局何冊捨てたんだろう?100冊くらいはいったかなぁ。最近はKindleにかなり移行してたんで、少なめ。

 

あと今回意識して捨てたのが「データ」です。

男性のミニマリストさんは何故かデータが好きな傾向があって、本やアルバムを電子化しました!と色んなところで読むんです。私は逆に「そっか、データもいらねぇな」と思いましたw

 

前の携帯から移行した写真データを9割くらい捨てました。これまでは外食すると写真撮ったりしてたんですけど。あとシェアハウス時代の猫写真

元カノの写真は別れた時に消したけど、旅行先の風景写真はとっておいてたのでそれも削除。

 

あとメール。スマホにメールアプリ入れてフリメから転送してるので、スマホ側で消してもデータは消えないんで、溜まりに溜まっていたので、それも元から削除。今必要なもののみ残すようにしました。

 

ブックマークも8割くらい削除。たまにしか使わないショッピングサイトとかはどうせ検索して探すので、ブックマークする必要ないだろうと。

一時的に使うものはPocketで管理して、ちょこちょこ捨ててます。

 

あとはニコ動のマイリスも整理しないとなー。

 

Kindleで読んでない本も捨てました。30冊くらい。

 

これだけ短期間にデータを捨てることが今まで無かったのですが、データも捨てるとスッキリ感が味わえます。これは初めてかも。

 

あとYouTubeで見た動画で、袋のジップロックをタッパー代わりにしてる人がいたので、真似するために最低限のタッパーのみ残して捨てました。10個くらい。かさばるんですよ。

 

まだ少し捨て残してますけど、捨ててみて気付いたこと、というか変化が2つありました。

 

1.シンクロの連続

シンクロとは電話をかけようとしていた相手からかかってきた!みたいなことですね。

偶然の一致って言うんだっけ。

もう毎日がシンクロの連続。

そうそう!こういう情報が欲しかったんだよ!って思ったことがあっちから飛び込んできたり。

言おうと思ってたことを周りが言い出したり。

めったに日常会話に出てこない単語とか、昔の芸能人とかの名前を思い出して検索してたら、2日間の内に3人位から聞いたり。

シンクロが起こると、人生がノッてるよ!というサイン、と私は勝手に思っているので、毎日刺激的で楽しくなりました。きっと不要な情報を無意識で捨ててるから、必要な情報だけが自分の目に映る状態なのかな?

 

2.欲しいかどうかが瞬時に分かるようになった

頭がスッキリしたせいか、服でも本でも物でも手にとった瞬間や検索した時に、瞬時に買うか買わないかの見極めが出来るようになりました。すげー楽しい。第六感が研ぎ澄まされてる感じですね。

ひよこのオスメス分けってこんな爽快感かもw

で、価格とかあんまり見ずに購入してます。ネットだとデビットカード使ってるんで、現金払いとあんまり感覚は変わらず。

あと欲しいかな、どうかな、必要かな。と思うものは、1週間くらい寝かせると答えが出る感じに。でもまだタオルが何枚必要かはわからないんだよなー。とりあえず2枚買います。

安さに惹かれた無駄遣いがなくなってます。

 

捨てる途中はいつも辛いんですけどね。きっと途中で挫折したり、やろうとは思ってるけど出来ないって人は、ここでつまづくんだよねと思う。

それを越えたら爽快になると分かってるから出来るんですけど。長年(10年)の経験ですね。ここ4年はミニマムじゃなかったから、それなりに大変でした。

物事が急に滞ったり、不安感が増したり、自分の嫌なところに向き合わなくちゃいけない出来事が起きます。あと体調崩したり。私の場合は熱っぽさとか頭痛とか。

多分これは、環境が急激に変化するってのは人間の本能(=現状維持をする)的に危機的状況なので、変化を回避しようと無意識が起こしてる出来事だと思う。

なので基本的に無視。

ちょっとした失敗に過剰にドキドキしたり。変にテンション上がって自己顕示欲を先輩に見せつけて、後ですごい自己嫌悪に陥って家でのたうち回ったりしてましたw

 

だから、準備が出来てない人は無理に「断捨離だ-」とか言ってガラクタ捨てしなくても良いと思ってますwあ、断捨離って言葉に違和感感じる話、いつか書くかも。私はガラクタ捨てと言う。ミニマリスト化とか。

 

でもあれね。ミニマリストが思ったより増えているらしく、びっくりしてますよ。本も出ちゃってるもんね。10年近く前は、広告に踊らされずに物をなるべく買わずに生活することで、経済至上主義への警笛を鳴らすっていうサイレントテロリストってのが一部で流行ってたんだけど、それくらい物を買わない人って異端ってイメージだったのにねぇ。カレン本も最初は「物を大切にしないなんて!」と非難をちらほら見かけた。

今も断捨離は物を大切にしないからだめ!という意見も見るけど、あまりに断捨離がメジャーになりすぎてるから騒ぎにはならない感じね。

 

断捨離は捨てまくることじゃなくて、自分にとって快適な状態を作るっていう意味合いだと思うんだけど…まぁいいや。それは次回。そんなに短時間で完成するような状態ではないと思うんだけど、簡単そうに見せてるのがマーケティングのうまいとこね。

 

ともかく、空間が空いて、スッキリしてます。心が安定して、疲れにくくなって、幸福感を感じております。心がワクワクすることも増えたな。

もう少し、捨ててみます。

捨てたい病発症中。

色々気持ち悪い人に追い掛け回されて、捨てたい病発症してしまいました。

実家にいる時はかなり捨てており、全て備え付け収納の中に入れ、よく雑誌で見るミニマリストのような部屋になってました。いらいらすると捨てたくなるのん。

 

今はワンルームなので、どうしても生活感が消えなくてどうしようかと思っていたんですけど、本気で捨ててやろうと思ってます( ・`ω・´)

 

全て収納の中に入れて、家具のみの部屋へ。

 

うちは備え付け収納が皆無なので、とにかく物を捨てまくるしか道がないんです。

 

とりあえず本を捨てまくってます。服も捨てたか。あと洗剤も捨てたい。

多分きっかけは卒アル。幼稚園から高校まで全部捨てました。とっといても仕方ないしね。

 

すると仕事で企画が思わず通ったり、たっかい紅茶頂いたり、思ったより臨時出費が掛からないことが判明したりして、ドキドキしてます。

期待せず見に行った映画がすごく良かったり、聞き過ごしてた昔の名曲に出会ったり。

 

ノッてますw

 

ガラクタをそのまんまにしとくと、そこに精神力を奪われる感じがするんですよね。

同じくガラクタな人間関係にしがみついてると、何もしてなくてもすごく疲れる。嫌いな人に愛想よくしなくて良い仕事なんで助かってます。

 

これから人生が波に乗る予感。今年一年、ホント前にも後ろにも進めなくて、ジタバタはしてみたんだけど結果もなんも残せず、鬱っぽくなるし、初めて結構長めの不眠になるし。自律神経やられるは、梅雨バテするわ、胃腸炎が長引くわで最悪でしたが、それも毒出しみたいなもんだったと思います。

 

去年末から何度おみくじ引いても、全部「今は悪いが時期に良くなる。大きく動くな」という結果だったんですが、そろそろ変わって欲しいなー。

 

そんな不調を淡々と気にせず、できることをコツコツやってきたおかげか、光が見えてきましたよ。多分、少し早い厄年なんだと思う。私、人とタイミングズレること多いし、マイペースだから。来年は後厄だと思って、物事が動く前の準備を色々したいと思います。

 

エンディングノート書きたいんだよねぇ。死んだ時に保険金(多分親に行く)がちゃんと下ろせるように。密葬用に。無縁仏でいいけどね。あとSNS解約したりとか。

遺言書書いとかないと。遺品は欲しい友達がいたら貰って欲しいけど、親には絶対渡したくないって意志だけ残しときたい。実際どうするかなんてどうでも良いから。ちょっとした仕返しですw

 

いつ死ぬかは分からないしねぇ。ごちゃごちゃ色々残しておいても仕方ないかなって。

そうそう。ミニマリスト化計画の最初の動機はそれだったんだよね。

 

今年の夏前くらいに、このまま一人で死んでいくんだろうかって不安とか孤独感に苛まれてたときからフツフツ湧いてた気持ち。

 

死んだ後に処理する人たちのことを考えて、少しでも楽な方がいいよなぁと思って。

で、色々整理したいなと思っているわけです。孤独死したら、後処理してくれる団体とかないかなぁ。

 

死を意識して、死に向き合うと、人は頑張ろうって気持ちが湧いてくる。

絶望したからこそ、希望を意識する。

これからも淡々と、死に支度と捨て作業をやっていこうと思います。

 

今週古本屋さん来るから、全部売っちゃおうかなー、漫画。Kindleで十分なんだよね。

人を依存させる人。

それが自分、な気がしました。

 

人をコントロールしたい。そうすれば自分の価値が高まる気がするからだよね。

 

でも結果、自分の希望通り、他人が自分に依存してくると窮屈で仕方がなくなってしまう。

苦しい。縛られたくない。

 

でも私もきっと寂しいから、そういうことをするんだ。誰かに必要とされたいから。

 

そういうことを考えると必ず出てくるのが、高校の時。学校を行かないようにすることで、ようやく母親が自分に関心を持ってくれた。それの再現をしようとしている気がするよ。

まず人を自分に依存させて、捨てることで自分を必要だと言わせる。誰でも良いんだよ。依存させやすい人間なら誰でも。

 

うちの親は何もかも無関心で、でも自発性は奪われてた。

20歳過ぎても料理1つもまともにさせて貰えない。自由を奪われて育ってきた。

 

ストレス発散でピアノを弾こうとしても、邪魔される。

 

楽しむことはとことん邪魔されて。冷やかされて、楽しむことは恥であると植え付けられてきた。だから多趣味なんだよね。長く続けるのが怖いから。

家を追い出される時も「どんどん苦しめ。苦しむ方に行かないと成長しない」とか何とか。

ほんっとに縁が切れて良かったということを改めて感じる。金でコントロールしてくる人間だったしね。

 

でも、未だに縛られている気がする。

30年近く縛られてたんだもんな。なかなか急には解放されないかもね。

 

そうだね。親が自分にやってきたことを、他人にやってしまっているのが今の自分だ。

だから気持ち悪い人に依存されてしまう。

私が自ら依存させやすい人を選んで、自分に依存させているからだな。

 

どうしたら良いの。

 

潜在意識の中に、誰かに依存したい欲があるの。

誰か、安心できて、信頼出来る人に依存したい。

小さい時に出来なかったから。

幼稚園の時にはもう、自分で決めて、動くことを強制されながらも、親がいなければ何も出来ないように主体性は奪われてた。

親の思惑通りに動く人形として育てられていた。

 

親も私のように、自分の親たちにコントロールされていた子供だった。

20歳そこそこの人間が人を育てるなんて無理だったんだよ。しかも父親無職だったんだぜ。両親とも鬱だったし。

苦しみの連鎖しか生まれてないじゃないか。

 

自分の中の小さな自分を育て直すしかないかもね。

幼稚園で大人として振る舞おうと、ワガママを言わない、空気の読める、自己主張をしない、親の思い通りに行動出来るいい子だった自分。

我慢強く育ってしまったんだよ。必要以上に空気が読める、他人を優先するような、周りにとって都合のいい人間になってしまった。

 

そして同時に自分より弱い人間をコントロールして、服従させるような冷徹な人間でもある。

もちろん依存してしまう側にも原因はあるだろうけど、まずは自分の問題として捉えるのだ。

 

空気が読めすぎてしまうから、自尊心のない人間の痒いところがよく分かるんだ。

どこを褒めれば良いのかよく分かるので、最初は承認欲求を満たしてやる。そして「もっともっと」と要求してきたら、与えない。そして承認欲求の渇望状態を作り、追いかけさせる。

追いかけられるとウザイから、周りを上手く取り込んで、「あいつ、ストーカーみたいでキモい」と他人に攻撃させる。

そして自分は悪者ではなく、被害者として周りから同情を得て、守ってもらう。

こういう寸法。だいたいは。前の職場のオッサンとか、それで追い込んだんだよね。人妻にすら待ちぶせするそいつもどうかと思うけど。

 

ホント最低な人間だなー。こうして人は搾取されるのか。

自分はブラック企業の社長が向いてる気がする。

 

意識的にやってるなら、それはホントに酷い人間だけど、無意識にそのパターンを繰り返してるもんだからタチが悪いんだ。

仕事が出来たり、普段は品行方正、頭も切れるものだから、人からの信頼が厚いところも上手く利用して、他人を蹴落とそうとする愉快犯。

でも顕在意識では自分が被害者だと思ってるんだよね。

 

でもって、人と上手く付き合えない。自分が酷いことをする人間だっていうことを無意識では認識してて、そこを直視してないからかな。こんな酷い人間だっていうことを知られたら大変なことになるって思っているんだ。

自分を出せない前に自分がどんな人間だかよく分かってない。

 

人によく思われたいんだよね。でもいざ他人が自分に依存してきたら、嫌になっちゃう。でも表面では他人なんかいなくても大丈夫だもんねって顔してる。だから人は「あ、大丈夫なんだ」と思って助けてくれない。よけい孤独になる。孤独をこじらせるから、そういう強行手段で人の関心を集めようとする。

 

ほら、やっぱり自分で引き起こしてるんだよ。なぁ。

 

このループはどうすれば断ち切ることが出来るんだろうか。

 

原因は「人に必要とされたい」という承認欲求があるってことだよね。

これをこじらせているのは、その承認欲求を見て見ぬふりしてるせい。

だから承認欲求が強い人が引き寄せられる。鏡として、自分自身を見せてくれるために。

 

人に認められたい。求められたい。好かれたい。誰かに依存したい。

女とか、20代とか、そういうカテゴリーではなく、自分自身がかけがいのない存在だよって言われたいんだ!そうか!

でもそれを他人に求めるのって…どうなのよ。

そんなに人は他人に関心がないものなんじゃないの?

 

そう。だから。

 

自分自身が、自分をかけがいのない存在として、愛していく努力をすれば良いんだと思う。

自分が自分の承認欲求を満たす仕組みを作りたい。

誰かに求めるから変なことになるわけでw

 

まずは、自分の中に認められたい欲求があることを知ること。

それが満たされなかった悲しみを、きちんと感じること。

きっとその悲しみが辛すぎて蓋をしたから、こじらせてるのよ。

親への怒りを吐き出すこと。

 

生きるために仕方なかったんだもんね。

親にとって都合の良い人間にならなければ生きていけなかったんだもん。

劣等感は去年手放したんだよね。

今度は承認欲求を健康的に持つことを目標に頑張ってみよう。

 

職場にいる40歳のオッサンが「最近、40代は20代にモテるんだよ(チラッ)」と仕事中にセクハラしてくるのが苦しくて仕方なかったんですよ。好きじゃない女性に好かれるのはそんなに拒否ないけど、男性はやっぱりだめだ。やっぱり私は身も心も女性が好きなのかもしれん。女性だと許容範囲広くなるしな。

男に好かれるだけで吐き気がするし、実際胃腸炎になったよ、ストレスで。今月二回目。

 

と気付けたことと、あと承認欲求が自分の中にあることに気付かせてもらって。そいつは心から嫌いだし、口だけで仕事出来ないところも嫌だし、先輩が総出で仕事教えても覚える気ゼロだし、とんでもないミスを繰り返す信用に値しない人間ですけど。

それでも鏡として私の中のとんでもなく酷い部分を見せて貰ったので、その部分だけ感謝してます。

 

露骨に避けたら、ちゃんと引いてくれたから、まだ良いけどね。

人の嫌悪感に敏感な人で助かった。そこで空気読めなかったら、本社に連絡するとこでしたよ。こういう人に丸投げするとこがさ…自分ってずるいよな。こういう時だけ権力行使するからさ。うちの会社もそういう臭い物に蓋するのだけは早い体質だって分かって、そう思ってたからね。他の対応は遅いのにね。

 

汚い大人だ、自分はw

 

仕方ないな。この歪みきった自分から始めるしかないもの。

死ぬまでに少しでもこの歪みを取るしかないね。でもエゴを持たない人間なんていないもんな。

素直に酷い人間だって認識した方がスッキリしますよ、きっと。

 

よし。書いたらスッキリした。

承認欲求ね。そこら辺を掘っていきたいと思います。

やっぱり結婚はやめておこう。でも…。

前回の続き。

 

てか前回、つれづれ書いてみた感想。

 

上手くまとまらないなー。っていうことは、まだ結婚、パートナーに関しては道半ばってことだと思います。本音が全然含まれてない。表面をなぞるような薄っぺらい文章になってしまった。

自分の問題を直視できない部分が、解決したつもりでまだまだ残っているということですね。

 

でもね。少しだけ結婚への嫌悪感が薄れてきたかもって思うのはホント。

 

嫌悪感の理由もよく分からないけど、アダルトチルドレン克服のためのセルフカウンセリングを時々やるんですけどね。

書いたっけ。今年は父親に関するパンドラの箱を開けました。まだ兄が残ってるんで、それはまた来年だな。

 

そのおかげか最近、嫌いで嫌いで仕方がなかった子供に、少しだけ目がいくようになりました。

周りが「かわいいねー」と言う言葉が全て嘘だと思ってましたがw

ほんの少しだけ愛しいと思える瞬間が増えたように感じます。

 

ファミレスやカフェで子供に遭遇すると、それだけで最悪な気分になっていました。それが嫌すぎて煙草再開して喫煙席に行ってたくらい。

でも最近はあんまり気にならない。

自分が幼稚園の時って、愛想も無邪気さも何もない可愛げのない扱いづらい子供だったので、子供らしい無邪気な子供に対する反応の仕方がよく分からなかったんです。

でも心の奥に隠してしまった感情を少しずつ解放することで、自分の中に子供らしい心が戻ってきているのかもしれません。ワガママさも一緒に戻ってきてしまってるので、時々困りますが。

 

そんな自分の変化から「結婚か…少しは考えてみようかな」と思ったと同時に、来年は婚活パーティー行ってみる!と行動で結果を出そうとしてたんですけど。

やっぱり当分はやめておこうかなと思います。

 

私が今やりたいことは結婚じゃなくて、自分の中の歪んだ考え方を解くことだから。結婚は60になっても出来るけど(うちの親族がやってました。しかも初婚)、自分の考えの歪みを治すのは、若い時じゃないと辛くなってくる、つまり優先順位が高い方から手をつけようと今は考えています。何だろう。考えが煮詰まってくるっていうか、固定されてきちゃうんですよね。落ち着く、とも言われます。

 

その作業をすればするほど、毎日の生活が楽しくなってくるし、自分の中から甘えや嘘がなくなって、生きやすくなって、気持ちが良いのです。

 

小さい時にぎゅうぎゅうに詰めてしまった荷物を大体降ろして、それからパートナーシップというものを考え始めても遅くはないんじゃないかなと思います。

 

ノンケの人は30代までに結婚しないと乗り遅れる!とか何とか言うらしいですけどね。その焦りはないんですよ。セクマイだから。むしろ40、50になってようやく幸せな恋愛をしている人が沢山いる。

恋愛に関しては年齢的な部分はね、あんまり関係ないっすよ。

セクマイに限らず、介護職してると60過ぎて恋人出来る人にも結構遭うしねぇ。

 

結婚はやめておこう。でも、10年20年過ぎてやってみても良いかもしれない。

50代なら、介護するとしても数年で済むかもしれないしさ。家族がやる介護が何故辛いかっていうと、終わり(=被介護者の死)が見えないから。65歳で何らかの病気を発症、95まで生きたら30年介護生活…(ヾノ・∀・`)ムリムリ

1年やっただけでかなり精神力を削られたのに、あれの30倍とか…日本人は偉いのう!

 

あとセックス問題も結構解消か軽減するんじゃないかと思います。

現役な人もいるけど、たいていは減退してて、いつもそのことばっかり考えてるっていう人は減っているでしょう。そもそも体力持たないという物理的条件がね、あるからね。

 

お、いいじゃないか。

恋人は作っても良いと思うけど、45すぎるまで結婚しない!ってポリシーはいいかもしれない。でもアメリカは40代での初産が増えているって言うから、先進国全体の流れなのかもしれないなぁ。

 

ま、人生なんていつ何が起こるかわからないんだから、こうだって決めた通りになるわきゃないんだから、あんまりこだわらずに生きたいと思います。ここまで書いておいてなんですが。