ネットに書くのは記録が主です。
そういうことです。かえでです。
Twitter2垢とブログを今、使ってますけれども、どれも記録としての扱いというか、後で自分で読むために書いていることがほとんどです。
なので突然オタク趣味の話が出てきたり、病気の話が出てきたり、アダルトチルドレンやスピリチュアルな話が出てくるわけです。
私の頭の中はマルチタスクと言いますか、同時進行で色んなことをしているので、ごっちゃ煮になりがち。
趣味がホントに多いし、興味関心も広い。詳しいのはごく一部だけど。
なので、覚えてられないんです。
病気になって余計覚えてられなくなった。
自分の過去のTwitterを読む癖があるので、それで思い出して、チケット取ったり、PC前に待機したり、行動しています。
年のせいもあるんだろうな。20代の時ほど物事を同時に覚えていられなくなった。
あと去年はどうだったとか、学生の時はどんなこと言ってたか見るのも趣味的な意味で楽しい。Twitterは長いことやってますので。
FBはやってないし、インスタはID記憶の彼方に行ってしまったのでやってないんですけど、やっぱりTwitterとブログが好きですね。読み返しやすいので。
ネット上のコミュニケーションはニコニコ生放送で済ませているので、Twitterはたまーに交流出来れば良いかな程度の立ち位置。
たまに酔っ払って変なことつぶやいて、翌日そんなこと書いたっけ!?ってなるのも楽しいw
そんな感じです。
それを文章化してみたかった。おしまい。ランキングも今日はめんどいので省略。
自信がない、じゃなくて?
主治医に「昼寝は30分くらいにしてね」と言われたのに、早速2時間寝てました、かえでです|ω・`)))) まぁいっか。
今日は自信の話。
私は不全家庭で育ったこともあり、どんなに周りに褒められても自信のない人間でした。
自分がやろうとしていることに自信がなくて、なかなか動き出せない。
周りから期待されて、えいやっとやっちゃえば出来ることでも、やる前にはプルプル震えているような人でした。
やれば出来ちゃうのにね。やる前は怖くて仕方ないんですよ。
でも、どこか本で見た「自信があるという状態はない。自信がない、という状態がないことがある」という言葉でパッと視野が広がったのです。
ちょっと分かりづらいかもしれないけど、自信というものは私はあまり感じたことがないし、別になくて良いやって今は思っています。もう少し言えば、自信なんて存在しないんじゃないかなと何となく思っています。
それより大事なことは「自信がない」状態を改善すること。
自信がないという状態は、言い換えれば劣等感があるということ。
その劣等感を捨てるような行動をしていくことが肝心だと私は思っています。
劣等感を完全になくすことは、私は無理だなぁと思います。でも、今の私には大分少なくなっていて、その部分では生きやすくなっています。
簡単に出来ることなら、毎日出来たことを数えること。それに対して自分で自分を褒めること。
ちゃんと朝起きられた。ご飯を食べて、内服が出来た。近所のコンビニに行けた。それくらいでオッケーです。
それを声に出しても良いし、どこかに書いても良いです。言語化するのが大事だと思う。
でも、その方法を試した私は少しは効果があったんですけど、いまいちでした。
で、根本的に劣等感を捨てることが出来たのは「母親への恨みつらみをスッキリするまでノートに書くこと」だったんです。
つまり、劣等感が誰に植え付けられたか、と考えると親の存在が大きかったんですね。
でも、世間一般では親の悪口とかは言ってはいけないような風潮というか、空気があるじゃないですか。
最初は怖かったんです、私も。でも、アダルトチルドレンのセミナーに行って、この方法を教えて貰って、多分4ヶ月くらいはかかったと思います。
何度も何度も同じことでも良いから、母親にされたこと、辛かったこと、怒りを書きに書きまくりました。
すると、すっと楽になったんです。劣等感が自分の中で小さくなったのがよく分かった。
劣等感は、親への怒りの抑圧だったんですね。
親へぶつけられなかった怒りが、自分に向かってしまっていた。
だから自信がなかったし、他の人のミスでも何故か自分が悪いような気がしたり、いつも誰かに責められているような気持ちが消えなかったんです。
私は自信はないけど、おかげで劣等感はだいぶ小さくなって、休職中の今も、結構のんびり休めています。
申し訳ない気持ちがあったら、ゆっくり休めないもんね。
もちろんたまに劣等感は顔を出すけど、そこは自分褒めで気持ちを切り替えることが出来ます。
自分の中にある抑圧された感情。これをどこかへ吐き出すことはとても大事だと思っています。
最初は怖いですよ。申し訳ないし、そんな自分が偉いわけじゃないって考えちゃいます。
でもそれはそれでまずは棚において「本当の自分」が感じていることを吐き出して、認める。
それが自信のなさを小さくするコツなのかなと思います。
私はカウンセラーさんからヒントを得て、自分でその作業をしましたが、カウンセリングでそれをやっても良いですよね。
ブログに書くのはちょっとあれだけどw非公開にしておいたら良いのかな。
あと今は色んな心理学の劣等感やアダルトチルドレンに関する本が出てますから、それらを参考にしながらも良いですね。
私が恨みをノートに書いてた時は、その手の本を沢山読みました。
感情は抑圧すればどんどん大きくなる。人は恨んでも良いし、怒っても良い。誰にも見られないところに書けば良いんだから。
良い人になろうとしてしまうけど、まずは自分の心を大切にするのが大事かなと思います。
傷が深い人は、なるべく専門家のちからを借りてやってみて下さいね。フラッシュバックしたら大変なので。
でもまだ私も道半ば。今は父親への感情に向き合っています。
少しずつ進んでいけたら良いな。
春よ、来い。
メンクリ受診してきました、かえでです。
先生から「仕事復帰は3月くらいかなぁ?」のお言葉を頂き、まだ休める嬉しさと、思ったより早いなって驚きで、なんとも言葉にし難い気持ちです。
8月半ばに調子を崩して、3月ですから約半年。そんなもんで仕事出来るようになるんだ!?って驚き。
普段はネットサーファーですから「双極歴15年」とか「2年経ったけどまだ仕事出来ない」とか色々見たり、あと自助会でもあまり働いている人がいないので、想像が出来ないんですよね。
でも、私は薬が素直に効くタイプだし、飲み忘れもほとんどないし、そもそも抑うつ状態の診断から1ヶ月で双極性障害が判明したというめっちゃ早期治療の人間なんで、可能なのかなと思います。
すでに最初あったようなだるさとか、突然泣き出すとかの症状なくなってるしね。たまに苦しくなるけど。
2月に障害者手帳取ろうかなと思ってて、セミオープンくらいで働けたら良いなとは思いますが、調子が良ければクローズでも良いのかなって感じです。でも今年の四月から障害者雇用が何か変わるんでしょう?どっちが得なのか、今の私にはよく分かりません。
そこら辺は、カウンセリング入れて相談だな。
もしくはハロワで相談。保健所でも良いのか?それとも役所の障害者雇用窓口?
こういう時にどこに相談すれば良いかよく分からないのがめんどくさいんだよねw
リワーク行くって可能性もあるし、そこは先生と相談だし、自分の体調次第なのかな。
ともかく、3月までは休んでおkとのことなので焦りが減って、気が楽になりました。
会社には超体調悪くてまだ全然働けません、先生からも全然GOサイン出てません、むしろ鬱状態で辛いです的メールをしておいたので多分大丈夫w
こき使われたから、これくらい許されると思うw
3月かぁ。結構あっという間なんだろうなぁ。それまではボーナスもあまり使わないように細々暮らしていこう。節約は得意。
無理せず、少しずつ出来ることをやっていこー!(・∀・)人(・∀・)
少しずつ変わっていく自分。
少しずつ病気が回復傾向に向かっていっている気がします、かえでです。
ちょっとしたことなんですけど、嬉しいですね、こういうのって。
前は買い物に行っただけで疲れていたのが、30分以上のお散歩も苦もなく出来るようになった。
調子が悪い時は無理せずにぼんやり休めるようになった。
読書しようと思っても、なかなか頭に入ってこなかったけど、今は2日に1冊くらいのペースで、図書館の本を読むことが出来ている。
表の横のラインが読めなかったのが、今は楽しくイラストロジックを解くことが出来る。
ご飯が食べられなかったし、味も塩味と甘味しか感じられなかったけど、今は食べたいものを思いつくようになって、自分で作ることが出来る。(レトルトで済ませることもあるけど)
軽躁状態で毎朝せっせと掃除して、テンションが高い状態だったけど、今は軽い掃除を落ち着いた気持ちですることが出来る。
前はアニメも集中して見られなくて、2話3話ごとずつしか見られなかったけど、今は一挙放送を苦もなく見られるようになった。
薬で太ったけど、毎日ちょっとずつ腹筋をやったら、お腹がへこんで来て、前履けたズボンが入るようになった。
まだまだあるけど、毎日出来たことや楽しかったことを探す癖をつける内に、たとえもやもやがあってもそこまで飲み込まれないようになりました。
早めにお薬飲んで調整とか出来るようになったし。
まだ仕事が出来るまでにはなってないと思うけど、来年の誕生日までには仕事が出来るようになっていると良いな。その前に退職手続きという壁が待ち受けているが、まぁ色々言い訳して乗り越えよう。
会社のことは嫌いなので、早めに縁が切れると良いなと思います。休職延ばしてるのはボーナス貰うためだけですから。
転職活動、がんばるぞー!
他者視点で生きる生きづらさ。自分本位に生きる気楽さ。
図書館に本を返しては、借りるを繰り返す日々、かえでです。
今日借りてきたのはこちら。とってもかわいい表紙なのも良いです。
他者視点ではなく、自分視点で生きましょうという本。
別の言い方をすれば、思考ではなく感情本位で生きないと、本音を押し込めてくすぶっちゃうよって話。
以前、ACカウンセリングで言われたことが沢山書かれてて、良い復習になってます。
もしあなたが、完全にマイナス感情を封じ込めることができたとしても、その感情は、消滅してしまうわけではありません。
感情、とりわけマイナス感情は、抑えていると蓄積されて、大きな「嫌な気持ち」となり、あなたになんらかの影響を与えるでしょう。
『ヘトヘトに疲れる嫌な気持ちがなくなる本』 石原加受子 2013 p76より引用
もう私が双極性障害の発症のきっかけが「これこれ!」って感じです(;^ω^)
仕事をしていた時に、私は思考で考えて、感情を抑えようとする癖がいつのまにかついてしまったみたいです。
でも恋人に対しても思考本位で接していたから、子供の頃からなのかもしれませんね。
だから思考を使うこと、勉強とかは得意なんですけど、感じること、感情を認めることが苦手なんです。
でも、今のまま感情を周りに上手く伝えられない、病気になる前の自分のままでは、また仕事をし始めた時に、また上手くいかなくなるのは必至だなって思いました。
自分を、変えたい。
今、U2plus(ユーツープラス)というサイトで、自分で認知行動療法をやっています。今カウンセリング料を出す余裕がないってのもありますが(´・ω・`)
そこで仕事してた時の思考で動いてたことを、その時の本当の感情を書いて、少しスッキリしました。
これを今後も使って、感情本位、自分本位の考え方を身に着けていきたいなって思いました。
出来たことを記録する機能もあるので、それは毎日使ってます。
自分を好きになることも、鬱には効く気がします。
そのために、どんなに小さいことでも「出来た!偉い!」って思うこと、「しあわせ」「たのしい」ってことを探す癖をつけることも大事だなと思います。
今は色んな本や、サービスがあって良かったなぁ。
しかもそれが無料で使えるなんて。
双極性障害を発症するのが10年遅かったら、きっと私は通院すら続いてなかったと思います。
色んな自助会もあるしね(●´ー`●)私も2ヶ所行ってて、もう1か所増やす予定です。
仲間がいるって嬉しい。Twitterもそうね。
恵まれてますね。感謝しつつ、家事に戻りたいと思います。
抗うつ剤出ました。
先週くらいから寒くなってきて、不安感が強くなってきたので、抗うつ剤デビューしました、かえでです。
一週間近く経って、ちょっと気持ちが上がってきた気がします。
過呼吸になっちゃいそうな不安感はとりあえず抜けました。
ちなみに飲んでいるのはサインバルタです。
SNRIって言うのかな。割と安全性の高い新し目のお薬という印象。
2010年認可ですって。最近ですね。
サインバルタは他の抗うつ剤に比べて効果が出るのが早いと言われているみたいです。
他の双極さんに言ったところ、双極さんにはあんまり抗うつ剤は出したがらない先生が多いとのこと。
多分、私は躁があんまり強くないから出してくれたのかなと思います。
今日は久しぶりに家にいるのに、お昼寝しませんでした。
いつも昼過ぎから夕方まで寝ないとたまらないくらいの眠気があったのですが。
用事がある時は大丈夫ですが、でもぼんやりはしてたかもw
私、3年日記を全然真面目にではないですがw書いていて、去年も一昨年もこの11月12月の頃は鬱っぽかったみたいです。
今年は乗り切れるかな。2月くらいが一番キツかった気がするけど、お薬で調整出来るといいな。
双極性障害は気分の安定を保つのが難しい病気なんだなとひしひしと感じてます。
その日によって違うし、朝と昼で違う時もあるし。
でも、その不安定さに慣れて、委ねて?しまったほうが楽なのかなと思います。全然出来てないですけど。
特に冬は調子崩しやすいので、ぼんやり過ごすのも良いのかなと思いつつ、焦らずいきたいなと思う今日このごろなのでした。
自己肯定感を積み上げる。
久々に集中して読める本に出会えました、かえでです。
孤独な世界の歩き方 ゲイの心理カウンセラーの僕があなたに伝えたい7つのこと
- 作者: 村上裕
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2017/05/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本を読んでいて、自分に足りないのは自己肯定感だと気付きました。すっと心に入ってきた。
自己肯定感をつくる、というのは、地道なことです。
他人が褒めてくれたこと、他人がよいと言ったことではなくて、自分で自分を肯定できるポイントをひとつひとつ探し、見つけ、心の中に積んでいく。
それは、とても孤独な行いだと思います。
村上裕(2017)『孤独な世界の歩き方』p57より引用
今までの私は劣等感をなくせば楽になれるのだと思って、5年ほど前に集中して劣等感をなくすように心の中を掘っていました。
結果、あまり劣等感を感じることがなくなった。
でも、今とても苦しい。
それはマイナスが少しマイナスくらいになっただけで、プラスになっていないからなんだ、とこの部分を読んでハッと気付いたんです。
病院のカウンセリングで心理士さんに自分の良さを肯定してもらっても、全然満たされなかった。
だから今はカウンセリング受けてないんですけど。
自分で自分を好きになる。
それは長い長い道程かもしれないけれど、やってみようかなと思いました。
私が双極性障害を、元々持っていたにせよ、爆発して発症させてしまったのは、上司に人格否定をされたからです。
自分は自分の得意なことを頑張ってやっていた。だから自己肯定感が満たされていたから、頑張れていた。
でも「あなたは言葉で説明するのが苦手そうだからそれをやれ」と命令されて、それからどんどん辛くなって、過呼吸になって、病院通いが始まった。
でも、確固たる自己肯定感が私の中にあれば、しなやかにその人格否定を受け流すことが出来たんじゃないか。
上司の人格否定は、私の中にもあった自己否定だったから、やられちゃったんじゃないか。
私は会社の中で仕事が出来る方だったんです。
その中で何人かの人にいつも肯定され、褒められていたんですが、それで満たされた気持ちになったことがなかった。
劣等感。
自己否定。
自己肯定。
それらは別のものだと認識が出来ていなかった。
他者から肯定されても、私自身が自分を肯定していなければ、何も満たされないんだ。
元を辿ってみると、母親から小さい時から無条件の肯定を受けた記憶がないのです。
小さいときに優秀だった私は、おそらく母親の劣等感を刺激する人間だったのだと思います。
いつも彼女の褒める言葉の後ろに、彼女自身の「劣等感」や「自己否定」が見えていました。
自分が勉強が出来たり、ピアノが上手だったり、スポーツが出来たり、友達が多かったりすると、彼女が悲しむ。
だから自己否定が癖になってしまったのかもしれない。
中学から不登校気味になった時に、彼女がほっとしたのを感じ取ってしまいました。
「ああ、自分は優秀であってはいけないのだ」と思い、そこからは勉強もスポーツもピアノも出来なくなってしまいました。
きっと自分でそうしようと無意識にやっていたんだと思います。
その頃の自分の良さを否定する癖が、彼女と別れた今、爆発してしまった。
遅かれ早かれそうなっていたのかもしれませんね。
そして、今から肯定感を、自分で自分を肯定することを、積み上げていくために、私は今こうして生きているのかもしれません。
そのために、生まれてきたのかもしれません。
昔読んだ本の中で、神様は完璧だから、自分の完璧さを確認するために、完璧じゃないという幻想を持つように人を作った、という話がありました。
その話が本当なら、まず私は劣等感や自己否定に揉まれる環境に生まれて、そこから自分の中の素晴らしさを再確認するために生まれてきたのかもしれない。
そう。そうかもしれない。
自己肯定感、積み上げていこうと思います。
日々少しずつ、自分の良さを見つけて、褒めてあげようと思います。