抗うつ剤出ました。
先週くらいから寒くなってきて、不安感が強くなってきたので、抗うつ剤デビューしました、かえでです。
一週間近く経って、ちょっと気持ちが上がってきた気がします。
過呼吸になっちゃいそうな不安感はとりあえず抜けました。
ちなみに飲んでいるのはサインバルタです。
SNRIって言うのかな。割と安全性の高い新し目のお薬という印象。
2010年認可ですって。最近ですね。
サインバルタは他の抗うつ剤に比べて効果が出るのが早いと言われているみたいです。
他の双極さんに言ったところ、双極さんにはあんまり抗うつ剤は出したがらない先生が多いとのこと。
多分、私は躁があんまり強くないから出してくれたのかなと思います。
今日は久しぶりに家にいるのに、お昼寝しませんでした。
いつも昼過ぎから夕方まで寝ないとたまらないくらいの眠気があったのですが。
用事がある時は大丈夫ですが、でもぼんやりはしてたかもw
私、3年日記を全然真面目にではないですがw書いていて、去年も一昨年もこの11月12月の頃は鬱っぽかったみたいです。
今年は乗り切れるかな。2月くらいが一番キツかった気がするけど、お薬で調整出来るといいな。
双極性障害は気分の安定を保つのが難しい病気なんだなとひしひしと感じてます。
その日によって違うし、朝と昼で違う時もあるし。
でも、その不安定さに慣れて、委ねて?しまったほうが楽なのかなと思います。全然出来てないですけど。
特に冬は調子崩しやすいので、ぼんやり過ごすのも良いのかなと思いつつ、焦らずいきたいなと思う今日このごろなのでした。
自己肯定感を積み上げる。
久々に集中して読める本に出会えました、かえでです。
孤独な世界の歩き方 ゲイの心理カウンセラーの僕があなたに伝えたい7つのこと
- 作者: 村上裕
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2017/05/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本を読んでいて、自分に足りないのは自己肯定感だと気付きました。すっと心に入ってきた。
自己肯定感をつくる、というのは、地道なことです。
他人が褒めてくれたこと、他人がよいと言ったことではなくて、自分で自分を肯定できるポイントをひとつひとつ探し、見つけ、心の中に積んでいく。
それは、とても孤独な行いだと思います。
村上裕(2017)『孤独な世界の歩き方』p57より引用
今までの私は劣等感をなくせば楽になれるのだと思って、5年ほど前に集中して劣等感をなくすように心の中を掘っていました。
結果、あまり劣等感を感じることがなくなった。
でも、今とても苦しい。
それはマイナスが少しマイナスくらいになっただけで、プラスになっていないからなんだ、とこの部分を読んでハッと気付いたんです。
病院のカウンセリングで心理士さんに自分の良さを肯定してもらっても、全然満たされなかった。
だから今はカウンセリング受けてないんですけど。
自分で自分を好きになる。
それは長い長い道程かもしれないけれど、やってみようかなと思いました。
私が双極性障害を、元々持っていたにせよ、爆発して発症させてしまったのは、上司に人格否定をされたからです。
自分は自分の得意なことを頑張ってやっていた。だから自己肯定感が満たされていたから、頑張れていた。
でも「あなたは言葉で説明するのが苦手そうだからそれをやれ」と命令されて、それからどんどん辛くなって、過呼吸になって、病院通いが始まった。
でも、確固たる自己肯定感が私の中にあれば、しなやかにその人格否定を受け流すことが出来たんじゃないか。
上司の人格否定は、私の中にもあった自己否定だったから、やられちゃったんじゃないか。
私は会社の中で仕事が出来る方だったんです。
その中で何人かの人にいつも肯定され、褒められていたんですが、それで満たされた気持ちになったことがなかった。
劣等感。
自己否定。
自己肯定。
それらは別のものだと認識が出来ていなかった。
他者から肯定されても、私自身が自分を肯定していなければ、何も満たされないんだ。
元を辿ってみると、母親から小さい時から無条件の肯定を受けた記憶がないのです。
小さいときに優秀だった私は、おそらく母親の劣等感を刺激する人間だったのだと思います。
いつも彼女の褒める言葉の後ろに、彼女自身の「劣等感」や「自己否定」が見えていました。
自分が勉強が出来たり、ピアノが上手だったり、スポーツが出来たり、友達が多かったりすると、彼女が悲しむ。
だから自己否定が癖になってしまったのかもしれない。
中学から不登校気味になった時に、彼女がほっとしたのを感じ取ってしまいました。
「ああ、自分は優秀であってはいけないのだ」と思い、そこからは勉強もスポーツもピアノも出来なくなってしまいました。
きっと自分でそうしようと無意識にやっていたんだと思います。
その頃の自分の良さを否定する癖が、彼女と別れた今、爆発してしまった。
遅かれ早かれそうなっていたのかもしれませんね。
そして、今から肯定感を、自分で自分を肯定することを、積み上げていくために、私は今こうして生きているのかもしれません。
そのために、生まれてきたのかもしれません。
昔読んだ本の中で、神様は完璧だから、自分の完璧さを確認するために、完璧じゃないという幻想を持つように人を作った、という話がありました。
その話が本当なら、まず私は劣等感や自己否定に揉まれる環境に生まれて、そこから自分の中の素晴らしさを再確認するために生まれてきたのかもしれない。
そう。そうかもしれない。
自己肯定感、積み上げていこうと思います。
日々少しずつ、自分の良さを見つけて、褒めてあげようと思います。
双極性障害からこれからどうやって生きるか。
フラットに戻りました、かえでです。
やや低めキープって感じです。でも多分、まだストレスに弱い状態( ;-_-)
ぐでーん。
先週の金曜日に発作直前までいって、5日くらいかけて戻って、またキープ。
思うに、こうやって少しずつ回復していくのかなと思っています。
色んな本読んでてもそんな感じだしね。
あと気温差もね。朝夕の気温差。あと季節の変わり目の雨。
そんなものにも影響を受けて、下がったり、戻ったり、下がったり。
冬は基本的に下がりっぱなしなので、上がりはしない。
で、進路に悩んでるんですけど、落ち気味、上がり気味の時には判断しちゃいけないなと思いました。
冷静な時に考えるべし。
で、今冷静なので考えてることが多い。
まず1月いっぱいで会社を辞めます。
ボーナス貰ってすぐ辞めます、だと自分が罪悪感に苛まれる気がして(;^ω^)
で、傷病手当を受け取る。
税金や年金の類の減額措置の手続きを即行う。
ハロワの失業保険受給期間の延長を行う。
2月に障害者手帳を申請。
傷病手当を春くらいまで貰う。
働けるくらいまでいくかなぁ。どうかなぁ。
で、失業保険貰いつつ、リワーク受けたり、セミナー受けたり、職業訓練受けつつ、ハロワ以外の案件で就職。ハロワ案件やばい。変なのしかない。
事務が多いみたいなので、試しにやってみて、嫌ならやめても良いくらいの気持ちで。
友達も職場を紹介してくれそうなので、まず事務やってから、そっちに変えても良い。
で、初診から1年6ヶ月経ったら障害年金貰おうと思っています。
それまでは貧乏生活だなー。今も業務スーパーとか100円スーパーに頼った生活をしています。
あと家計簿始めました。今月は頑張った方だからあんまり使ってないけど、旅行があったり、家の更新があったりで結果赤字になりそう。
貯金が底をつきますな。でも良いのさ。
上京した頃も同じような状態だったから、なんとかなることは知っている。
また細々貯金していけばいいのさ。
と、鬱期に入るであろう将来の自分に向けて書いておく。
大丈夫だからね。色んな制度使って、生き延びよう。
しんどい・・・時の対処法。
久々に発作ってしまったかえでです。
(´・ω・`)しょぼーん。
火曜の夜、突然きました。
リラックスモードになるとたまにくる発作的なもの。
過呼吸寸前で息が少し上がって、今回は胃痛もありました。
首を締められているような息苦しさ。
涙がだーっと悲しくもないのに出るのは今回はなし。
毎度のことながら、ちょっと動揺しますね。
すぐに夜寝る前に飲んでいるジプレキサという双極性障害用のお薬内服。
それでもいまいちだったので、ホットミルクに砂糖とシナモン入れたやつをゆっくり飲んで、お香を焚きました。
あとストレス性のものによく処方される胃薬(ガ○ター的な)を飲んで、胃痛はあんまり変わらないんだけど、1時間くらいでなんとか許容範囲くらいには回復しました。
で、牛乳がなくなったので、ついでにチーズも買いにすごい近くのスーパーに行って、チーズを焼いて食し、ゆで卵も食し。うまし。
そういえば毎年この時期はこういう感じで胃痛になってたなぁと思い出しました。
何故か寒くなると過食になって、元々食が細いし、体型もカリカリなので、胃が過食の負担に耐えきれなくなって、突然胃痛が来るわけです。
でも今回はそこまでひどくなかったな。過食が落ち着いてきたタイミングだったからかな。
今年から過呼吸追加されましたけど。←New☆
高校生の時もよく過呼吸手前くらいの発作が出てたんですが、もうこれの対処法って過ぎ去るのを待つしかないんですわw
ふっとアームカットとか、いのちの電話的なものとか、色々頭をよぎったんですけど、とりあえず薬飲むべって感じになってました。
冷静に時が過ぎるのを待つ。
これが私の対処法。焦っても仕方ない。
2年前くらいまでは胃痛と嘔吐とで、かなり酷い胃腸炎状態になってたんですけど、去年から軽くなってきた気がするので改善はしてるんだろうな。
次回の来週の受診の時に言い忘れないようにしないと。
あと睡眠薬効かなくなってきたので、ぼちぼち変えて欲しいんだな。
今日はあんまり眠れなさそうなので、先生に言ったら怒られそうだけど何か足して入眠出来るようにしたいと思います。
最近入眠障害も出てきて、まぁ昼間動いてないから当たり前なんだけど、でも眠れないのもストレスなので受診まではしゃーない。
こういう発作が出るには理由があると思うんだよなー。
自分は何を我慢して、抑圧してるんだろう?元気な時に掘ってみたいと思うけど、今日はもう寝ます(´・ω・`)
胃、痛いけど。
こういう時に結構冷静な自分が好きよ。
鬱になると自分らしさを取り戻す!
今日はちょっとスピリチュアルな話?かえでです。
双極性障害になって、休職して、気付いたことがあります。
「その時やりたいことしか出来ない」
やりたいことだけやることに罪悪感を感じることを覚える人が多いと思います。それは社会的に、伝統的に、日本がそういう価値観を小さいときから教え込まれているから、かな。分からんけど。
でも鬱になると、眠気が来たら抗えずに寝るし、過食期が来たら色々食べるのがやめられないし、時間があるもんだからゲームしたければゲームするし、遊びに行きたければ行くし、友達のラインを返すのが面倒くさかったら翌日に回します。
仕事をしてた自分からは考えられないぐうたらな生活をしているんです。
もちろん、転職したいなって思うからハローワークに登録して、色々使えない制度ないの?って聞きに行ったり、面白そうなセミナーないかな?って見に行くし、「通勤時間の希望は近い方がいい?1時間にしとこうか」「いえ、30分で(即答)」とかわがまま言うし(笑)
病気や公的制度の調べ物もくまなくやります。図書館使って、関連図書を読んだりもしてます。
最近は学生の時に勉強してたのに簿記が取れなくて悔しかったので、3級から勉強も始めました。
でも、全部嫌なことじゃない。全部、心からしたいからやってるだけなんです。嫌なことはしない。嫌なことをしようとするとすんごい不安感が湧いてくるので出来ないんです。
で、これって「今を生きる」ってことだなと思いました。
自分らしく生きる、とも言えるかもしれない。しかも強制的に。
今の自分は我慢してない。逆に我慢しすぎたから鬱になったとも言えるかも。
無理なことを押し付けられても「相手が上司だから」我慢してた自分。
でも今の自分にはその我慢は出来ないなって分かっています。
我慢すると、発作が起きたり、3日くらい動けなくなるから。
そう考えていくと、このタイミングで鬱になったのは必然なんじゃないかなって思うようになりました。
とても良いタイミングだったんです。
休職で一ヶ月給料が出ない。でもボーナスは出るので、その日までに何とかすれば生きていられそう。
発症前から転職を考えていたので、後輩に少しずつ自分の仕事を振り分けていた。
職場の社員数がずっと少なかったのに、たまたま今は潤っていて、上から派遣を少し減らすよう指示されるくらいだった。
躁状態が落ち着く(冬に鬱になるタイプ)頃合いだったので、あんまりお金を使わなくても生活できる季節に移ってきた時だった。
そういう良いタイミングで休めたってことは、こうなることが必然だったんじゃないかって思うわけです。
他にも6年位の付き合いなのに4回くらいしか会ってないネット友達から連絡が来たと思ったら、同じ病気にかかってたとか。
中学からの友達が難病にかかってたりとか。
理解しあえる、病気の話が出来る人が身近にいたのも今だからこそのこと。
そうやって自分がしたいことをしたいように出来て、友達もいて、良いピアミーティングにも出会えて。
前からやりたかったけど、経験もないし、30過ぎちゃったので諦めてた仕事に、障害者手帳があれば出来るかもしれない可能性も出てきた。
自分にわがままに生きるっていうのかな。今までも、そうあろう、そうなりたいって思ってたんです。
でもなかなかやろうと思っても出来なかった。
でも今は出来る。そうしないと体調を崩すし、寝込むから。
だから鬱になったこと、後悔してないし、負い目もないし、恥ずかしさもなーんにもないんです。
むしろ病気になって、自分らしく生きるきっかけを得られて良かった、感謝だなってホントに思うんです。
たまには気落ちしてしんどい時もあるけど、しんどい時は自分を見つめるチャンスだから、それはそれで良い。
神様はわざと鬱にさせて、ストップかけて、自分らしく生きられるようにチャンスをくれたんじゃないかなって思うわけです。
それってとても素敵なこと。
そうやって前向きに捉えられる自分を10年以上かけて作り上げてきていたのは、今のためだったんじゃないかって思う。
心理学とか自己啓発本とかスピリチュアル、宗教、色んな本やセミナーに行ってたんです私。18歳から25歳くらいまでがピークでしたね。
だから、これからはわがままに、あるがままに生きていこうって、他人の顔色を見ながらじゃなくて、自分のご機嫌を取りながら生きていこうって思っています。
自分にとって苦しかったらすぐ逃げようって。
まずは今の会社を辞めるところからだな。12月はボーナスがあるので、1月いっぱいで辞めようと思ってます。2月になって、体調が安定してなかったら手帳をとりつつ傷病手当を継続して頂こうと思ってます。まぁ、すぐには治らないからそうなるだろうな。
自分らしく生きなさいってチャンス、ちゃんと掴めるように、今日もわがままに生きようと思います(ノ´∀`*)
人の期待にはもう応えなくて良いんだ。
加藤諦三さんの本を読んでいます。胸にしみる・・・かえでです。
加藤さんの本には高校生の時に出会って、しんどくなると本屋で探して読んでいます。
で、読んでて思ったり、Twitterでも似たようなことを読んで、少し腑に落ちた感じ。
自分に期待できない人が、他人に期待する。「私は自分で幸せになれないから、あなたが私を幸せにして」と。そして期待に応えられないと怒る。それはとてもお門違いな怒りなのだけど。だって、期待されている側は「幸せにする責任」をいつの間にか負わされているという事実を、知らないのだから。
— 心理カウンセラー 三浦望 (@hr_m_nozomi) 2017年11月17日
母親からやられてましたね、これ。
旦那にも学歴にも恵まれない(と勝手に本人が思ってた)から、優秀(だと見誤れてた)娘に「自分の代わりに一流大学に行って、一流企業に入って、一流企業の男と結婚しろ」と遠回しにいつも期待されてました。
私が鬱になったきっかけの上司にも勝手に期待されて、人のやる仕事量以上を押し付けて、コミュニケーションもせず、更に私の苦手なことを拒否してもやらせようとしてきていた。
それに対して強く反発出来る自分だったら良かったんですけど、親と同じパターンだと、「出来なくても頑張らないと」ってなっちゃうんですよねぇ┐(´д`)┌
でも病気になって、それが出来なくなって、自分の好きなこと、出来ることしか出来なくなってしまった。そしてそれが良かった。
日本社会では「努力すれば何でも出来る」的風潮がありますけど、無理ですから。
「苦手なことを克服することが成長だ」も嘘ですから。
得意なことをして、助け合って、それで上手く回るのに、それに気付かないのは何故。
相手が壊れるまで気づかず、声の小さい人に押し付けて、病人を量産して、自殺者を量産するのは。
これからは、人の顔色を見ずに、自分のために生きたい。
自分のご機嫌を取って、心に余裕を持って、人を笑顔にする人になりたい。
もう誰かのご機嫌は取りたくない、取れない。
だから、国の使える支援はいっぱい使おうと思います。
現時点で使えるのもあるのかな?
誰かの力を借りないともう駄目になりそう。
沢山の居場所を作って、倒れないよう、休み休み、なんとか生きていこう。
その中で自分の好きなことが見つかれば良い。
やりたいことをやっていこう。
インナーチャイルドを癒やす。
父親の記憶が出てこないので、インナーチャイルドワークでもしようかなと思っておりますかえでです。
前回のちょっと続き。
退行催眠っていうんですかね。
リラックスした状態で段々記憶を巻き戻していく。
その時、自分は覚えている、記憶はちゃんと残っていると信じていないと出てきてくれないので、これは何度かやってみて慣れとか、向き不向きとかが関係するのかな。
私は10代の時にスピリチュアルブームがあって、様々な本を読んで実践しているので、割とすんなり記憶が戻ってきます。
でも心が拒否しているときは、なかなかパンドラの箱は開いてくれません(´・ω・`)
こないだ少しだけやったんですけど、なかなか嫌な記憶まではたどり着きませんでした。
これからまた少しずつ記憶を辿って、押し込めてしまった恨みや悲しみを出して、癒やしていけたら良いなと思っています。
今日はこれから受診なのでこんなもんで(`・ω・´)ノシ
行ってきます。
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