楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。フレイロマンティックアセクシャル。ノンバイナリー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

双極性障害Ⅱ疑い。

受診してきました。やはり双極性障害Ⅱ疑いとのこと。

 

先月末から症状が一気に出てきて、しんどいです。今日は早期覚醒さん。

でも6時間寝てるから、まだマシかな。ちょっと前みたいに2時間毎に起きる生活よりは。

スパッと眠気が無かったので今日は起きました。いつもは二度寝しちゃうんだけど。

 

デパケンという気持ちの上がり下がりを抑える薬が処方されました。初日は効いた気がしたんですけど、躁と鬱の混合状態だっただけみたいで、身体は重いけど、気持ちは軽い、みたいな。

 

むしろその後、デパケンの切れる昼間は躁が出て、その後一気にうつが来て、帰る頃にはぐったり(ヽ´ω`)疲れます。

 

朝夕処方なので、ちょっと早めにデパケン飲んで乗り切るかぁ。一日3回にしてもらおう。今のところ吐き気も眠気もないし。

ありがたいことに先生とお休みが合わなくて、またすぐ受診なのです。先生も良い先生に当たったようで、ちゃんとお話しながら、こっちの希望も聴きつつ処方してくれるので嬉しい。

 

仕事するのしんどいなぁ。でもボーナス欲しいからなぁ。7月の散財は躁症状だったんだなぁ。

 

とりあえず休職いけるか!?

今は会社にクローズなので、こそこそ引き継ぎ資料作りは捗ってます。

あと自立支援医療制度も、通るように書いてあげるよとのこと。ありがたやありがたや。

 

 

昼間の息苦しさは来週、ちょうど検診なので、先生に聞いてみよ。

他の病気って可能性もあるしね。

 

ふぅ。文章書くとメンタル落ち着く。

 

病気でもピアミーティング行ったり、お友達と会ったりして、引きこもりすぎないように気をつけていきたいと思います。

今月は超久々の友達に会うからすげー嬉しい。

通院し始めました。

まだ三回くらいかな。

休みの日の夜に過呼吸が始まり、その翌日から仕事中に軽い過呼吸(息苦しさ)と喉のつかえ、首を掴まれているような苦しさが3日続き、即メンタルクリニックに飛び込みました。

職場のお局2人が共依存して、職場をぐちゃぐちゃかき回して、更に上司は何か訴えても「ふーん」みたいな対応で、自分が限界超えてたのは知ってたけど、遂に決壊したって感じでしょうか。

 

おかげさまで喉のつかえやら不安感はちょっと良くなったくらいで残るものの、息苦しさや過呼吸は収まっております。薬が切れるとまたちょっと戻るけど。

 

と思っていたら、始まる急なハイテンションが数日。からの急激な落ち込み。からの腸炎

これ、軽躁鬱(今は双極性障害Ⅱ型だっけ)の症状に当てはまるじゃないですか。

 

で、この症状、今までもずっとあった症状なんですよねぇ。今まで知識がなかったし、鬱状態も我慢できる範囲だった(でも希死念慮くらいまではあった)し、長く続かなかったので「あら、収まったから大丈夫か」くらいの気持ちだったんですけどね。

 

それがいつくらいから始まったのか記憶にないんだけど、大学1年生の時には既にあったんですよ。9年くらい前か?

 

そんなに長く続くものなのかよく分からないけど。

一つよく覚えているのが、ハイテンションモードが過ぎて、鬱状態になった時に、めっちゃくちゃ体調が悪いというか、身体が重くなって、疑心暗鬼になって「皆自分のことを悪く言っているはずだ」「死にたい」と思いながらサークルへ行ったことがありまして。別にそんなに心配することはなにも起きなかったんだけどさ。

 

基本的に私は「誰も自分を好きになるはずがない」ってのが根底にあるらしくて、自分ひとりで無理してしまうタイプなんですよ。私が誰かに助けを求めても、誰も助けてくれるはずがないって思い込んでいるふしがある。

最近ようやくヘルプ!と声を上げることが出来るようにはなってきたけど、鬱状態の時は人間不信モードになってるから、声も掛けられない。

 

でも薬を飲んでるとそれも緩和されてるから、後輩達には頼れるし、話しかけられるし、癒される。

 

でも、もう仕事行きたくないなって感じになってきました。

きっと限界超えすぎてるんだと思う。

 

元々の始まりは新しい上司が、全然仕事出来ないパートを私より先に社員にさせるって言い始めた瞬間、「あ、私見くびられてるし、私はここには必要のない人間なんだな」って思ったのがきっかけだったと思う。3年くらい前。

そこから仕事は仕事だけやって(仕事は早いし出来る方)、個人的な付き合いはしない、関わらないって感じで安定していたんですけど。ここは金を貰うだけのところって決めました。

 

でも今年くらいから途端、私への人格否定とか、仕事量増やしてきたりとか、上司のやるべき仕事を押し付けてきて、それを後から入ってきたBBAが「私達がやるべきことなのに、なんでやらないの」とか頭悪い馬鹿なことを言い出したりして、そのBBAのことを上司が鵜呑みにして操り人形状態になって。

 

前回ここで書いた「人間関係が最悪」っていう占い結果がそのまま当たった感じですね。そこで苦労するぞと。先に教えておいてくれたんだね。

 

どうやってやめようかな。傷病手当貰って休むか。それにしてもまずは引き継ぎを考えないといけなくて困る。そこまで時間が掛けられない感じだ。

 

転職するにも、数ヶ月はちょっと休まないとダメだな。

 

今度転職しまくり友達と会うので、相談しよう。

 

 

カウンセリングで現状を伝えて、「ああ、それは組織運営が出来ていない未熟な上司ですね」ってすごい当たり前なんだけど、外の人に言われてすごい気が楽になった。

ホントマネジメント知識ゼロのくせに妙な自信だけある馬鹿なんですよ。パワハラするし。

 

うむ。もうこれ以上ここにいても意味がないな。何とか年末のボーナスまでは休職出来るようにしつつ、引き継ぎ頑張ろ。ボーナスないと、今年の夏金使いすぎて詰みそうだw

 

まずは明日資料用のパソコン画面キャプチャ→印刷して、あとは家でコツコツ資料作ろう。

 

文章化するとスッキリするね。良かった。

 

そして勇気を出して受診して良かったです。変な先生にもあたって、合わない薬出されて倒れかけたけどwでもスタッフの人たち優しいし、カウンセラーさんも超話しやすい&頭めっちゃ良い人なのですぐ大好きになった(これは私の人生の中でありえないこと)だし。倒れる前に、動ける前に、これくらいで行っても良いのかな?って思うくらいでも、しんどいと思ったら行った方が良いと、私は思った。

別に会社に言わなければバレないし。薬はトイレで口に入れて、その後水飲んでごまかしてます。

 

誰かに自分の辛さを話して、それを受け入れて貰うことだけ、それだけでも行く意味はあると思う。お金はかかるけど。(自立支援医療制度申し込み予定ですが)

 

薬が嫌なら漢方とか出してくれるところもあるし、たしかに依存性も怖いけど、薬で気持ちがフラットになるだけでも救われます。西洋医学すげぇ。でも私は漢方も合うので、眠剤は漢方です。

 

双極性障害は遺伝だと思うけど(うちの父親が明らかにそうで、大暴れタイプ)、私はちゃんと治療を受けて、日常生活が送れるように頑張らずに頑張っていこうと思います。

久々に占い。

下手くそな占いまがいを見てしまって、ムカついて久々に占いしてました。自分を。

 

最近占いしたい欲が無かったのですが、これは上の人にしてやられたぜ。

それだけずっと自分と向き合っていなかったってことか。仕事も趣味も忙しかったから。

 

結果は今は人間関係が悪くて、そこから抜け出したいんだけど、そこまでのタイミングじゃなくて、というか次に何かやりたいと思えることがあまりなくって、足踏みしてる感じ。

でも時期がくればスパッと今の人間関係は切れる感じだなぁ、これ。

 

他人の占いの時はとっても甘く甘く、優しく結果が出るんですが、自分に関しては妙に厳しいというか、ちょろっとしか教えてくれないんだけど、それだけ知れたら良いかな(´・ω・`)もう慣れちゃった。

 

そうだよな。今までもそうやって嫌な人間関係は必ず切れてきた。

 

そして長く続いている人たちは、変わらず続いているし、むしろ趣味の繋がりが強くなって、プライベートはより深く付き合ってきてるので、問題は仕事の人間関係だけ。

 

でも次は別の仕事があるとか、何か楽しめる仕事がありそうかとか、給料上がるとか、そういうことはあんまり教えてくれないし、私も別に知らなくていいかなって思う。

 

仕事の人間関係は、放っておけば自分にとって居心地の良い状態になっていくことが多いので、それで良いんだなぁ。今は精神的に行き詰まってるし、でも仕事自体はとても順調。人間関係に問題があるってことが分かった。ありがとう、教えてくれて。

 

結構ベロベロに酔ってるので、文章がまとまらないという言い訳をしつつ。

 

今は趣味がとても楽しい。すごく楽しい。仕事は後輩に振り回されないように何とか自分を保ってるけど、そこまで仕事に執着されると、仕事を適当にやってる自分への劣等感が生まれてキツイんだ。

 

でも仕事を人生の中心に置くなんてしたくない。中心にするなら心から大好きな芝居とかにしたいけど、現実的に厳しいからな。才能だけ持て余して、努力が嫌いな人間なので、もう年齢もそうだし、そこまでの勢いもないんだ。いや、芝居を始めた16歳の頃だってそんな勢いなんてなかったぞw

 

最近さぁ、芝居で食ってる人たちを見て、どうしてそこまでやれるのかなって思って見てると、気付いた頃には芝居してった人が多くて。

同じように役者を目指してて、実力もあった人たちが、妥協するように結婚していくのを見て、悲しい気持ちにもなったりする。

 

何が何でもやりたいとか、それをするだけの親の資金があるとか、強い劣等感とか、そういうものを持たずに、妙に器用に組織生活を営めてしまった自分を恨むよw

 

当時培った度胸的なものは今も仕事で使ってるから、それは無意味なことではなかったとはおもうんだけれども。

 

 

やっぱりエンターテイメント業界に行きたいのかなぁ、自分は。

 

でも今のところはそれらを享受する側で良いのかな。途中で諦めた自分への後悔がたまにうずくんだよ。もっと全力でやっておけば良かったなって思うんだよ。やりきっていればこんな後悔もないから、今からでも何かすれば良いんじゃないかって、未だに迷うんだよ。

 

ふーむ。まぁ、そこはジュクジュクした傷のまま、とりあえず見て見ぬふりをしておこう。

 

何か占いをきっかけに過去の傷をえぐったなwがんばれ、自分。職場で頼りにされているということは分かっているし、それはありがたいこと。

ゆっくり考えていこう。

いつでも仕事を辞められる状態にしておきたい。

最後の更新が11月と聞いて、そういえばここ3ヶ月、馬車馬のように働いて(でももちろん趣味も犠牲にせず)いたのだなぁとしみじみと致しました。

 

現場が新人ばかりになってしまって、でも仕事自体も忙しいけれど効率化を図っているおかげか実にスムーズに終わるので、結構楽しい感じです。

忙しいのでコミュニケーションが足りず、結果人間関係ストレスフリーな感じ。組織的にはとてもよくない状況に陥っているので、そろそろテコ入れしないといけないけれどw上司以外とはちょこちょこ話してるからまだいいか。

 

どんなに忙しくても、雑談しないと組織はダメです。人同士の暗黙の了解が通じなくなって、余計情報伝達に時間がかかって、より時間がかかるようになります。昼休みに黙りこくってる上司はあかんですよ、もちろん本人のメンタル的にも。

5秒の雑談や冗談をちょいちょい入れておくだけで、組織の潤滑油となりますからね。そこは男性は苦手ですな。前の上司はそこをちゃんと意識的にやっていたので、相性の悪い社員がいても、大きなトラブルなく回ってた気がする。風がちゃんと通ってた。

プライベートの話をするのって結構重要なんですよねぇ。

 

まぁ「給料を上げるために客を増やせ」なんて誰の心にも響かない(私関係ないしw)ことを言って、周りをしらけさせちゃうような人ですからね。多分そうやって上から言われてるんだろうけど。お金のために働く人がいるかどうか見極めてからそういうこと言えよと思うわ。低賃金でもなお今の職場にいるってことから推測して、皆の働きがいがどこにあるか考えろってんだ。

 

商売も組織運営も、ニーズのあるところにお金や労力は集まるんだなって日々勉強させて頂いています。なかなか難しいけど、自分もニーズに合ったものが提供出来るように頑張ります。今のところ他社員からはお褒めの言葉を頂いているので、それを出来る社員を増やすのが私の役割だろうな。30代はプレイヤーの能力だけではなく、マネジメント能力も伸ばして行きたいです。

 

 

枕だけで800字いってしまったなw

 

本題は、今のところは正社員じゃないこと以外に不満はないんですけど、でも正社員で身動き取れなくなるくらいなら今のままでも良いという思いもあり。

どっちにしろ辞める方向では動いておいて損はないなと思ってまして。

 

今エクセルの簡単な関数を使った表とかを私が1から作って現場で使っているんですけど、エクセルを使える人が現場にいないので、もし自分が辞める時に引き継げる人がいないという問題があります。

あと色々こまごました仕事を自分が気付いた時にやっているのですが、それは別に私がやると決まっている仕事ではないんですよね。でも私が辞めたら多分誰もやらない気がするので(一緒にやってる子も辞めちゃうし)、そこを文書化しておかねばと思うのです。

 

そこの準備をしっかりしておかないとと思いつつも、日々の仕事を捌いている間に忘れてしまうので、メモしておこうという記事。

 

パソコンが使えないって不便ですねぇ。不便ですよ。パソコンが関係ないと思えるような福祉職の方でも、ぜひともMOSくらい取っておいて良いと思う。あとパソコン検定も。マイクロソフトオフィススペシャリスト、略してMOSはエクセルワードの機能の試験で、パソコン検定は主に関数を使った表などの使い方検定です。

てかエクセル使える人入って欲しいww

 

引き継ぎの時は今関数でピックアップして自動入力しているものを、全部手打ち出来るようにダウングレードしなくてはならない。その雛形を作っておこう。

前任者がそうやってて、ひっくり返るかと思いましたよwそんなことパソコンにやらせなさいよとw

 

私もあんまり得意ではないんですよ。もっとパソコンが好きだったらパソコン関係の仕事って道もあったのかなぁ。でも夜が弱いから今が合ってるんだろうなぁ。

 

でも機能を一通り知っていると「パソコンでこういうことをしたい」と思って、検索して、実装するという流れが実現出来る。

でも何が分からないか分からない状態だと、連続データをいちいち手打ちしなくちゃいけなくなったりする。で、時間がかかる。時間がかかれば他の仕事が出来なくなる。出来なくなれば他の人の仕事も手伝えない。コミュニケーションも減ってしまう。余裕がなくなる。で、冒頭の話に繋がっていく。

 

前の社員の子が、毎月お客さんに配る表を全部手打ちでやって、3日くらいかかってたんですね。何度「私がやるよ」と言っても聞き入れず、「時間かからない方法あるから聞いて」と言っても頑なに自己流でやろうとして。やっと上司の鶴の一声で自分に引き継いで貰ったら、3時間で終わるという。今は1時間半くらい。

バカバカしいでしょ、そんなの。で、少し小ネタ程度の技も伝授しておきました。逆に私からあげた仕事は効率化出来たみたいで、それは楽しかった。

 

で、その表の短時間化はどうやったのかというと、毎月表の内容は変わるけれど、全体の構成は変わらない表なので、エクセルのテンプレート機能を使って、且つ数字は一つ入れたら自動的に全部入るようにしただけです。で、文章は手打ち。機能を知っていれば、テンプレート機能使えば早いなって思いつくんですよね。

 

前任者はまず前月の表をコピーして、内容を全部消して、また一から入力してました。そりゃ時間かかるわ。

 

そっちの方はまぁ、テンプレート機能そのまま使って貰って大丈夫かなぁ。

 

でも説明書を作るのがめんどくさいんだよなぁ。わざわざスクショして、それに文章加えて。世にいるマニュアル製作者を尊敬しますよw

 

むー。でもダウングレードするなら、ファイルの場所だけ確保して、文書化しておけば大丈夫かな。むしろ細々した仕事の方もワードにまとめて一緒に入れておけばいいか。

うんうん。少し見えてきた。

 

 

最近の自分の仕事上のテーマは「はたらくとは”傍(はた)”を”楽(らく)”にする」です。使い古された言葉なんですけどね。自分の仕事はなるべく効率化して、減らして、楽をする。で、その余った時間を人のために使う。

去年はホント自分のためだけに効率化して、定時で帰ってって感じだったんですよ。趣味欲大爆発していたのもあるし。その反省を踏まえて。

 

趣味も犠牲にしないけど、他の社員も犠牲にしない。今年はバランスを取れるように成長出来たらいいな。

楽しいことを人生の中心に据えよう。

夏の自分は、仕事で色々悩んでいたみたいなんだけど、最近は吹っ切れて、むしろ調子良い感じですwどうも、生きてました。

 

たまたま見てたネット生放送で、過去10年の自分の価値観とぴったりなことを仰っている方がいて、興奮して久々にキーボードを叩いています。

その間に、アクセサリー作りにはすっかり飽きてwでもイラストはずっと描いてました。

 

そう、イラスト。イラストのために私は今生きています。生きる意味が表現することなんだって、小さい時は当たり前に思ってた価値観を、受験だ就職だで忘れかけていたんですけど、またもとに戻ってきました。

 

でも、このブログでもちょいちょい言ってましたね。

 

「人間は自分にとって楽しいことをしていれば、人生が上手く波に乗るように出来ている」

 

で、更にいえば、むしろこれからの社会「楽しいことにお金が集まっていく」と信じて、楽しそうな方向をずっと追いかけていました。その考え方の師匠は斎藤一人さんだったり、本田健さんだったりしますが、でもきっと自分の心が元から持ってる価値観なんだと思います。

 

でも、どうでしょう。私の職場はそうなんですが、「自分が何をしているときが楽しいか」を明確に意識している人はほぼいません。

これをしていれば、自分はなんとか生きていけると思えるような楽しいこと。そういうことがなくてどうしよう、探そう、としている人すらいません。

 

そうなると、職場という人生の中でごく限られた世界であるはずのものにすがるしかなくなるんですよね。視野がどうしても狭くなる。

そうなると保守的になる。失敗を避けるようになる。それを周りにも押し付ける。それに周りも巻き込まれる。暗くなるから病気になる。病気になるからお客さんも離れていく。

 

お金が回らなくなりますね。まぁ、当然のことです。

 

 

人はニコニコしてた方が良い。夏は自分、モチベーション下がってたみたいですけどね、いや、今も低いんですけどw

でも、とにかく周りの暗さは全面的に無視をして、時々イラッとすることもあるけれど、飄々と、マイペースに、フラットな気持ちで仕事が出来るようになりました。空気なんて読まない。ふんふーん♪って鼻歌歌いながら、自分ひとりで楽しくやってますw

空気読めない子に、空気読めないですよねって言われるくらいには空気読んでませんw相当社員同士ギスギスしてるらしいけど、私、全然知りません。首も突っ込まないし、裏で勝手に色々言われてても気にしてません。

だって、仕事は私の人生じゃないから。私は人生を楽しく生きてるだけ。今、ようやっと毎日楽しいです。

 

でも何故か機嫌よく仕事してると、私がいる日はトラブルもなくなって、結果、仕事が早く終わるので、周りがダラダラ残業してても、空気なんて読まずにさっさと帰ってます。で、周りからもあなたがいる時はトラブルないね、なんて言われたり。

 

で、早く帰って絵描いてます。

で、何故かお金ガンガン使ってるのに減りません。ちょっと減っても、また増える。

漫画だのアニメのDVDだの映画だ、美術館だ、美術書だーと好き勝手に買ってる感じなんですけどね。

 

でも、それはきっと楽しいことにお金を使ってるから。

金は天下のまわりものってこういうことだと思う。

楽しくお金を使ってると、お金の存在を忘れるんですよ。

で、気付けばお金が貯まっているという。あんなに貯金崩してたのに、気づいたらまた増えててビビりますよ。

 

多分、仕事でもストレスかからないか、もしくは家でやる趣味のことであっという間に昇華出来るからか、ストレス発散のための浪費がなくなるからかな。「自分へのご褒美」っていくらやっても満たされないから、どうしてももっともっとってお金がかさむんですよね。

 

絵を再開したのが今年の6月なんですけど、その前に「自分の好きなこと探し」ってのをやってたんですよ。

 

毎日のことに追われて、自分の心の感性が鈍ってる!危ない!って。1年以上前からだなぁ。恋人と別れてからかなぁ。

 

楽しそう!と思ったものには何も考えずにお金を使おうって意識してた時期があったんです。

素敵なお店っぽい!と思ったら、とりあえず入ってみたり。

気になる映画は見てみたり。

 

で、ときメモにハマって、本体、ソフトだけじゃなく、長時間疲れない椅子も買って、照明買って。で、キャラを絵描きたくてペイントソフト買ったり、PCのディスプレイ買ったり、設定資料集買ったり。

更にPCの調子が悪くなって、あと低スペックすぎて描きづらいから新しいデスクトップPC買ったり、アナログのつけペン一式買ってみたり。漫画読むためにちょっと良い電子書籍リーダー買ってみたり。

 

 

楽しいことに使うお金って、楽しいんです。当たり前。

でも、本当に心から楽しんでないのに消費されるお金って、楽しくないんです。これも当たり前。

 

これ、稼ぐときも一緒です。

 

ふんふーんって楽しい気分で稼いだお金って、大事に使うんです。楽しくないことに使うのもったいないなーってなっちゃう。

我慢して、苦しんで稼いだお金って、その苦しみを消したくて、自分の身の丈に合ってないような贅沢とか、人によく思われたいとか、そういう邪心が入るんですよ。

でも邪心で使うお金は楽しくない。高揚感はあっても、幸福感がない。だから余計欲しくなる。次こそは満足出来るんじゃないか、もっと使えばもっと幸せになるんじゃないかって。

 

残念ながら下心で使うお金では幸せになれない。どこかで、自分の中の本当の自分に嘘を付いているから。その嘘を、自分自身はちゃんと気づいているから。で、気付くと手元からお金が消えている。

 

 

お金関係の自己啓発本で、まずたいてい最初に出てくるのが「自分が心からワクワクすることをしよう」なんですけど、今自分がそれを実践して、実感してます。

 

しかもそのワクワクすることは、小さい時からやってた絵ってところが、まさに自己啓発本的。教科書的ですねw

 

 

そんなの見つからないって人は、見つかると思って探してみると、見つかる、と思うんですがどうでしょう。

私、きっと自分が心からワクワクすることがあるはずと思って、正確に言えば16歳くらいのときにはもう見失ってたんで、それからずっと探してた気がするんですよね。29歳で見つかりましたけど。13年って意外と短かった気がします。

で、探すプロセスも苦しかったけど楽しかった気がします。

 

ある時は演劇だったり、それこそアクセサリー作りもそのプロセスだった。学問にも一生懸命取り組んで、まぁそれなりに楽しかった。仕事にも心からのワクワクが見いだせるんじゃないかって猛烈に勉強しまくったこともあります。広告ライターのバイトもしたし、飲み物好きだから色々試してみたり。お酒も飲み比べとかして。

ピアノ再開もしてましたね、そういえば。あとスペースクリアリングしたり、スピリチュアルにハマってみたり、占い師したり、カウンセリングに行ってみたり。前世療法だの、オーラソーマだの、スリランカ仏教だの、神との対話だの・・・思いつく限りのことを試して、探してました。旅行や映画、小説、カフェ巡り。

見失ってるから人と会ってみよう、で長く付き合う友達も出来たりね。こうやって書いてみるとまさに迷走だなwあ、ヨガもやりましたね。ジョギングもしてみたり。あと1年見つからなかったら、多分フットサルチームに入って、ゴスペル習って、プログラミングやってたよ自分w

 

好きなことが見つかったら見つかったで、自分の絵が下手すぎてびっくりしてますwその分、苦しいですけど、その苦しさに揉まれるのがすごく楽しいんですよ。大変だけど、ワクワクする。一生かけてやってくんだから、これくらい下手なところから始めても、まぁ目が見えなくなるまでは少しは上達するでしょって感じですね。

絵を描いている時は、孤独も悲しみも怒りも、全てがモチーフになります。すごく心が安定する。仕事の苦しみもいっぱい味わいたいってなる。味わえば、また描けるものの幅が広がる!嬉しい!って、もう変態の域です。

 

もし高校生の時に自分は絵が好きだ!と気付いて、芸大か専門学校行ってたら、今みたいな色んな経験は積めなかったんじゃないかって思うんです。人と比べてばかりで、多分縮こまっておしまい。だって別に特別な絵の才能ないもん。上達も遅いしさ。

 

だから、自分の人生捨てたもんじゃないじゃんって。才能ないって分かってても、少しずつ努力出来る今の自分が形成されたこのプロセスって素敵やんって。

 

でも、人間は楽しんじゃいけない、仕事をちゃんとやらなきゃいけない、エリートにならないと、高学歴高収入じゃないと幸せになれない・・・なんて考え方に囚われてたら、こーんなに楽しい人生送れてなかったと思います。

 

それは根本のルール、価値観が違ってるから。

自分基準、つまり自分が何をしてたらしあわせか、自分の中から溢れるものに従うか、それとも親の世代の古臭い、20世紀的価値観に踊らされて自分を見失うか。

これからの社会、世界、この違いってでかいと思うんですよね。

って言っている人は、10年前は自己啓発とかスピリチュアルの世界の人たちだけだったんだけど、今は経済を回すような人たちが言い始めてるのが、すごく嬉しい。

 

大学生の時から、それだけは私も大事にしてました。

「単純作業、つまり辛い作業ってロボットや安い労働者に代えられる社会になるはず。

だったら人間にしか出来ない、人間にしか付けられない付加価値ってなんだろう?」って。「その付加価値を創造出来る人材であろう」って。で、その付加価値は楽しさ、だった。

 

なので介護職を始めた時に、まず身につけようと思った能力は介護技術ではなく、傾聴や人間力。自分と相手に素直になって接すること。嘘をつかないこと。相手の大切なものを認めること。安心を与える接し方。相手の気持ちいいツボを押す方法。人間の楽しい嬉しいってそこだよねって。自分を分かろうとしてくれる、自分の想いが伝わるって実感させてくれること。そこはロボットには出来ないねって。

数字にならない技術を身につけておけば、それが武器になる、と信じてやってきました。

今も結局、そこで仕事してるし、お客さんにそこがウケてるって感じてます。だからお客さんの方から助けて貰えるし、小さなミスくらいなら笑って許して貰える。贔屓されてるなって感じてます。職員からのウケは悪いかもしれないけどw

でも最低限の仕事を、素早く出来るように訓練してるので、文句は言われないから良いかなぁ。文句を付けられないように仕事はしてる。皆の取りこぼしを全部拾ってますから。そういう計算するずる賢い末っ子ってやーねw

 

でもここの部分は自分の課題。ビジネスライクすぎるんだよな、仕事の仕方。でも必要以上の残業って意味が見いだせないし、それやりだすと絶対自分が病むからやりませんけど。なんで一緒に暗くならなくちゃならないのだ。それを求めてくる上司の目線は見ないふりですw

でももっと良いやり方ないのかなぁ。うーん。

 

自分にとっての楽しい。それを追求していくことが重要。

会社は嫌いだし、上司もなんでわざわざ苦しむ方向に自ら行ってるのか理解不能だけど、仕事自体は楽しむ工夫を惜しみません。それでとりあえずは良しとしてます。

私の今の人生の中心は表現すること。それが結果的に何らかの形で世に出たら良いな、一緒に楽しんでくれる人がいたら良いな、仕事になったら良いなとは思ってますけど、別にそれは目的じゃあない。

 

今、絵を描くことを中心とした楽しみを、人生の第一優先として据えて、生きてみよう。そう決めたことで、今までのモヤモヤが嘘みたいに晴れて、孤独や貧乏すらも気にならなくなって、心が軽くなっています。

やっと私はここに来て、幸福な状態を知りました。もうそれで良いって思います。

このために生きている、と感じながら生きることがこんなにも楽しいなんて。

 

いつかこの幸福感がなくなるんじゃないか、とちょっと不安になります。不安になって、半年近く経つのに、でもまだしあわせなんですよねぇ。心が穏やかなんですわ。

 

いつか終わるのかもしれない。でも良いや。

終わるってことは、これもまたただのプロセスだっただけだってことだもの。それだったら全然怖くない。

 

楽しさの追求。

これが私のこれから当分の人生のテーマなのかもしれません。

キャリアを考える。

転職しようかなぁと色々見ていた時にふと思い出した、自分が仕事でやりたい第二のこと。

 

第一は人の人生を見る。

第二は人が変わる瞬間を見る。

 

それが私が一貫して学生バイト時代から求めてきたこと。

 

「人が変わる」の定義は、例えば接客業の時は、自分の接客で、落ち込んでいたお客様が少しほっと笑顔を見せてくれる瞬間。それが一つ。

もう一つは自分が変わり続けること。マズローさんぽく言えば、自己実現欲求に向かって、つまり今の仕事をよりよくしたいという気持ちを持って、自分を磨いていくということ。

最後に、人を育てるということ。

 

この中の2つ目、3つ目が今の職場では実現出来ない。それが私が今の職場が嫌いな理由。

 

2つ目に関しては、自分を磨いて、成長させて、その先に何にもないということ。

上司が見ていてくれないのはもちろん、承認欲求が満たされないという意味で不満。

それだけじゃなくて、自分だけが専門知識を付けたところで意味がないから。周りの専門知識をあげようにも、上司がそういう働きをすることが出来ないためか、また専門家としての自覚がないメンバーが多くて、組織自体が素人でしかない。最初の頃は全体の技術を上げないといけないって話を提案してたけど、もう方向性がとっちらかっちゃって修正不可能。

これは3つ目の人を育ているというところにも繋がっていて、上司が感性(思いつき、雰囲気)で仕事するもんだから、下も「そんな適当でいいんだー」で思考停止で仕事する癖が出来ている。

 

少しスッキリした。

自分を高めて、周りを育てていくという目的を、何とか今の職場で実現しようと何度も何度も試みたけど、やっぱりダメみたい。

そもそも自分の心が最悪な状態の時に出会った職場だもんな。今の自分とはもう合わなくなってきているのかもしれない。

 

でも新たな場所に適応するのってすごく苦手なんだ。

しかし自分の良さが全く発揮出来なければ、ズルズルいても意味がない。

 

まぁ単純に今までの上司に恵まれてたんだよなぁ。

生理的に合わないというか、相性が悪いっていうか、いちいちムカつくっていうか。感情論でしかないから、なんとかこっちから距離詰めようとしても、あっちは引くから、もうそれ以上入れないし。

子供なんだよなぁ。

 

あっ。昔いじめられたBBAも、昔の私に対してそういう感じだったのか!おおお。新たな課題が見えてきて楽しい。

でも糾弾して、家も恋人も奪うことないと思うw

 

環境を変えれば変わる事案なのか、それとも自分が変えていけることなのか考えてみよう。

でも今まで、大体環境変えれば上手くいくんだよなぁwで、一つ成長して、また上に登ってきた。

ちょっと継続して考えてみる。

何のために仕事をしたいんだろうか。

ゲームプレイから、お絵描きの勉強をし始めて、更にアクセサリーづくりも着々と続いていたら、まただいぶ放置していましたw

 

そんな中、ふと仕事、キャリアで躓いて、苦しくなって、ちょっと今日壁にぶつかったみたいでメモメモ。

 

上司が変わって、素人になって、専門職としての自分のプライド、自信を保つのが難しくなって、その我慢がだいぶ溜まってきていて、苦しくなっています。

どうやら。

我慢強い人間なもので、なかなかどうしようもならないところまで来ないと自覚したり、整理出来ないので、倒れる前に認識しておかないと。

 

現場で自分は専門家として発言したり、仕事したり、連携を取ろうとしているんですが、あまりに素人が多くて、更に勉強意欲もない人間が上にいるものだから、とても苦しい。

業界、専門を全く知らない人間が上にいるものだから、社外に伝えたいことを伝えるのに精一杯。

そして職人肌のコツコツ、黙って穴をしっかり潰していくようなタイプの自分は、別部署の専門性の高い仕事が出来る人や、最近入った自分と同じくらいの経験値、知識量の新人からは認識されているけど、いかんせん上司には空気のような存在みたいです。

 

同じような理由で、同世代の内勤の女の子も病んでいるようで。我慢しちゃう族。会話がいつまで経っても通じなくて、ただ根性根性と昭和の日本企業みたいなことしか言わない。見てるところはとても浅くて、頑張る気力なんて出ようがない。

 

毎日モチベーションが下がって下がって。でももうどこが大事なんだよって説明はしたくない。十分した。しすぎるほどした。それを理解しようと歩み寄ってくれないなら。

 

もういいや。

 

諦めの境地に入ってしまったのを自分で感じてしまった。

 

そうしたら今週、急にメンタルががくっと落ちてしまいました。

ずっと止めていたデパスを再開。でも気休めなんですよね。根本に働きかけないと。

 

どうしても根性だの、上からの指示に従おうとする自分の頭で考えられない思考停止なところとか、努力だとか、そういったことに執着する割に、部下とのコミュニケーションはおざなり。何もかも馬鹿馬鹿しい。

 

最初はさ、アシスタント的な立場の子も、上司を立ててたけど、病んじゃったし。私もただただ最低限の仕事をするだけ。空回りしてるの気付いてないのかな。

 

苦しい。悲しい。苦しい。

 

でも、こうして苦しい時は、壁にぶつかった、つまり壁があるところまで歩いてきた証拠なんですよね。

こう、自分の皮が一皮むける前っていうか。

夜明け前が1番苦しいっていうか。

 

 

で、必死に考えて考えて。

 

他人の評価、認識。それがないと、社会性が満たされないと、人は病むと思うわけですよ。

自己実現の欲求を求めるタイプ、社会性を求めるタイプ、衣食住の充実を求めるタイプとかマズローって偉い人は言っていたけれど。

元々自分は自己実現欲求の強いタイプだけど、それでもやっぱり企業に身を置いているうちは社会性、客観的評価ってのを求めているんだ自分は、と発見。

前の会社の上司が、超ベテランで、女だから男だから、自分が付き合いやすいからそうじゃないからって評価をコロコロ変える人じゃなかった(当たり前だけど)ところが余計に苦しい。今の上司は(仕方ないけれど)経験の割にビジネス的な人付き合いが出来ない人だから。主観でしか見られない人だから。

 

そういうどうしようもない上司を持った時に、人はどうすれば良いんだろう。

 

で、また考えた。

 

とりあえず出来ない上司はどこにいっても売るほど(売りたいほどか?)いるはずだ。最低限が出来ない人間だって、役職がついてしまうのは仕方がない。

そんな縛りプレイなこの人間界において、じゃあ自分が仕事をする意味ってなに?私は仕事を通じて何をやりたいの?上司に評価されたいのか?それは二次的なもので目的じゃないはずだ。

 

そんな感じで、根源に向かって自分を掘っています。

仕事をし始めて丸5年。きっとね。きっと。キャリアを振り返らないと、「今までのルールで仕事をすること」が、限界に来てしまったんだと思ったわけです。

去年くらいなら、まだ今の上司に合わせてあげられたけど、それが出来なくなってきた。成長も鈍化してきたし、また成長を求めはじめたのかもしれない。

ズレてきてしまったんだと思うんだ。

 

我慢ならねぇ!ってなった時、人は行動するパワーを出すことが出来るし、残念ながら地球では行動することでしか物事が動かないようになっているわけで。

 

私が中学生くらいからずっと持っていた、仕事で実現したいことは「悲しかった人が何かのきっかけで少し気持ちが軽くなる瞬間を見ること」でした。なりたい職業がいくつ変わっても、それだけは変わらなかった。大学の時の長期バイトも、ひたすらそれに向かって動いてたし、だからこそ楽しかった。

今もそれはすごく楽しい。それに自分が携わらなくても構わない。その瞬間に立ち会えればそれでいい。

 

でも、その根源をもっと発展させたいのか、それとも求めるものが変わってしまったのか。

 

それは今はよく分からない。

 

人は楽しいと思える方へ進んでいけば、自然とうまくいくように出来ています。

今楽しくないってことは、楽しい方向へ進むための指針みたいなもの。

 

また楽しい方に戻れるように、考えたり動いたりしてみます。