現代の若者は懐古厨である。
斜め読みですけど、この本を読んでいます。
日本初! たった1冊で誰とでもうまく付き合える世代論の教科書―「団塊世代」から「さとり世代」まで一気にわかる
- 作者: 阪本節郎,原田曜平
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2015/10/02
- メディア: 単行本
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そもそもバブル世代(今の40代くらい)にいじめられたり、色目使われたり、仕事出来ずに迷惑かけられたり、呼吸するように嘘をついたり…マジ意味不明!とキレて、世代論系の本を読み始めたんですけどね。
面白かったのは上の世代の解説部分ではなく、自分の世代の解説部分。私の周りの多くもそうであるように、結局自分のことにしか興味ないんですねwそしてそれが楽しい。
私は区分で言えばさとり世代(この本では83~94年生まれ)ですが、このさとり世代、未来に希望を持っていないから潜在的に懐古厨ということが書かれていました。
少し前に流行った『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』というアニメ作品がありまして、どうやらこれが懐古心をくすぐる作品だったそうです。
友達に全話見させられたんですけど、小学生の時に周りがポケモン、女の子はジャニーズ(キンキキッズ全盛期でした)に夢中になる中、深夜アニメと深夜ラジオ、ビジュアル系バンドに傾倒していた自分にはさっぱりわからなくて、それが実に解せませんでした。
が、その世代特有の思いなんかを上手くくすぐるものだったのかなと思いました。友達も学校外やクラス外の子が多かったしなぁ。
あの花には何にも感じなかった自分ですが、涼宮ハルヒの憂鬱やとらドラには妙に懐古心をくすぐられたなと同時に思い出しました。ああ、この気持ちだな。この気持ちをくすぐられるとつい追いかけてしまうのかもしれない。
ハルヒの場合は、何にもない部活の部屋。そして文芸部という名をつけていても、やることは全然別のこと。ハルヒは更に部長が神だったり、部員が超能力者だったりするんですが。この日常的空間の中に非日常が隠れているのが楽しいのですね。
私自身も高校の時に文芸部に所属しつつ、文芸部としての活動はせずに哲学的な議論に花を咲かせたり、皆で互いに変なアダ名をつけたり、バドミントンをしたり、謎ルールのゲームを創作したり、ハルヒ達のような遊びをしてたせいか、妙にこの作品が好きなのです。
特に好きなのが一期のサムデイインザレインで、なんてことない冬の日の部室を長回しで撮ってるような平和な回。これは原作にはなく、小説では表せない、映像でしか見られないような回でした。
廊下の向こうから聞こえる演劇部の練習の声とか、誰もいない部室に入った時の寒さとか。大騒ぎしたあとの静けさとか。
自分に思い当たるエピソード記憶が喚起されるのが楽しい。
とらドラも、高校生ならではの、好きになったら結婚するんだと思う狭い思考回路とか、後先考えないところとか、当時は恋愛でドロドロしてると思っていたけど、今見てみれば青春そのものだった!と思い出す面白さがありますね。
深夜に家を抜け出したり、学校に行って、保健室で恋愛相談しながら泣いたり…あの時にしか出来なかった恋愛を思い出すから、とらドラ大好き。
今は恋愛すら良いや面倒くさい。結婚?誰が他人の介護なんかしなくちゃいけないんだボケが。みたいな感じで、すっかり現実的になってしまって寂しいね(´・ω・`)自分の時間は自分のために使うもの!自分のお金も自分のもの!
日常系アニメが流行るのも、結局、高校生の時の日常を思い出して楽しいっていう若者独特のものにうまくマッチした結果なのかもしれん。
あと同世代と遊ぶと全然お金使わなくて、それで楽しいよね。だからもう年上とは付き合いたくない。金遣い荒すぎ。だから職場の飲み会も結構平気で断る。
お部屋でコンビニで買ってきたお菓子食べるとか、鍋するとかで十分なのだよ。それがとても楽しいし、幸せだ。一緒に趣味の合うDVD見たりとかね。
夜景の見えるレストランとか言われても、夜景じゃお腹いっぱいにならないし、お行儀よくしてるの疲れるしね。夜景見たけりゃ東京タワー上ればいいよ。
でもこの本に書いてあったようなインターネットで繋がる、周りの目を妙に気にするってのは、うーん…確かに若い時はそうだったかもしれないけど、基本的に自分の周りは自分の趣味を持ってたり、他人に興味ない人ばっかりなので、私にはあんまり当てはまらないなと思った。で、趣味が合わなくても仲良くなれるくらい関係が希薄。で、それくらいの希薄な関係、距離の開いた関係が心地いいね。深くは繋がらない。でも本音はあけっぴろげに言う、みたいな。日本人らしくオブラートに包みまくる関係ではないというか。
うーん…なんだろう。いろんな個性を認める社会だったなと思う。それはイコールそんなに他人に関心がないってことだと思うんだけど。同調圧力がないコミュニティに私は小さい時からいるから、同世代から浮いちゃうんだと思うけど、自分の好きなことが確立しているってことで繋がってる感じがするんだよ。
私はアニメが好きだったり、読書が好きだったり、掃除が好きだったり、猫が好きだったり、一人遊びが好き。お笑いも好き。詳しくないけど。でもマニアック過ぎてたいてい話は通じない。ブルーリバー好きな人にあったことないしね。
でもその「何か好き」っていうメンタルがある人と繋がっている。だから無趣味の友達はいない。本人は無趣味だと思ってても、他から見れば十分こだわり持ってる人ばかり。
別にその中で無理やり同じものを好きであろうとはしない。話が通じなければ、それでいい。多様性が面白いね、で終わる。それが心地いい。
だから、無理やり同じ所属にしようとする結婚制度や恋愛は自分自身ではないと感じてきた。誰かと足並みを揃えるのではなく、相手の個性を認めて見守ればそれでいい。
むー。だから会社で、私は周りに合わせないけど、周りが自分に合わせて来る感じがして、それが気持ち悪い時があるのかも。日本人は他人の顔色見過ぎだよ。自由にいこうよ。
そして恋愛でそれをやっちゃうから、相手を自分に依存させちゃうんだよね。自分は無意識だけど、自分らしさを折らないから。相手はそれに合わせてこようとするから。
うむ。何かを好きな気持ちを知っている、という共通の価値観が心地良いんだろうな。懐古心と仕組みは一緒な気がする。
うーむ。でもやっぱり世代論って難しいや。ものすごい沢山の価値観の中から共通項を見つけるのって大変。多分その共通項って微々たるものだからね。
ミクロな視点で見ると共通項は見つからず、マクロで見ると決めつけになりがち。実態がないことを探すのが、世代論なんだね。それ自体が無意味なのかもしれない。
でもまだもう少し勉強してみる。楽しいから。
愚痴らないと、静かだけどイライラもする。
なんだろう、この現象。
環境が今とても良くなって、愚痴が減りました。
SNSもいろいろ辞めました。
mixiは元から放置なんだけど、ツイッターもお笑い情報収集用のだけ残してログアウト。PCからはアプリ削除。フェイスブックはもうそろそろデータが消去されているだろう。インスタは投稿はせず、猫画像のみチェック。
で、家で3年ダイアリーを書くのみ。
うーむ。
すごく平和ね。あんまり日々、何かを考えるという作業をしなくなった。
でも、何かがイライラもやもやして、どうしたものだか。
発する言葉と本音のズレを感じます。
時々これはあって、そのズレにすごい不快感を感じます。
その不快感からイライラになったりする。
人ともっと話したほうがいいのかなって不安になる。
仕事は人と話す仕事なんですけど、別に自分自身の話をするというよりは、相手の様子を見たり、相手の話を聞くのが主なのですよね。
発信したいのかなぁ。
よくわかんないや。
多分、ガラクタ捨てを集中的に行って、ある程度捨てきって、次のスタートの前なんだよね。
ぼーんやりしてます。
毎日が夢の中みたい。
まぁ、寒くなってきたからね。冬はいつもそう。頭が全然回らなくなって、ひたすら寝て、だらだらするの。
本能に忠実なんです。暖かくなるまでは、こんな感じでのんびり過ごしていくでしょう。
きっと収穫の秋が終わってしまったんだと思う。
おかげさまで、幼なじみとのイベントが年末にいくつも控えているので、それを楽しみに、マイペースに年末の忙しさを捌いていきたいと思います。
そうだよな、寒いからね。冬眠の時期に入ったってことだね。
のんびり、ゆるゆる。ほかほかしながら、無理せずに乗り切ろう。
ビジネスホテルが好き。
あのそっけない感じが好き。
狭くて、ものがなくて、落ち着きます。
来月、久々にビジネスホテルに泊まるだけの旅行に行きます。近場。
ついでに買い物したり、映画も見れればみたりしますが。
ビジネスホテルに泊まって、ビールとか日本酒をちびちび飲みながら、テレビ見たり、ネットしたり、Kindle読んだり、新聞読むのがすごくすごく好き。
なんであんなに落ち着くんだろうね。
普通の旅行でも、あえてビジネスホテル選ぶこともあるくらい。
鎌倉は年3~5回行くので、何件かリピートしてるビジホもあります。
田舎のビジホの、自販機がカップ麺やらパンやらやけにバラエティ豊かなのも、とても良いよね。ビールにチューハイ、ノンアルコールビールもあったりして。
でも基本はコンビニで何てことないおつまみ買って、一人でダラダラ食べるのが好き。
オッサンなのかもしれないw
お金貯めてシティホテル行くほうがいいんじゃない?と思うんだけどさ。
あんまり好きじゃないみたい。人と泊まるならいいけどね。椿山荘なんかはお散歩できるし、ティーサロンも良いし、夏は蛍見られるし、それはそれで楽しいけどさ。
あの簡素な感じこそが贅沢と感じるんですよ。高揚感を感じる。豪華できらびやかなものって、何となくつまらないというか、あまり心躍らない。
他の人の浮かれた空気に心が醒めるのかもしれない。
お、近くに銭湯あるらしい。そこでお風呂入って、お風呂あがりにお部屋でお酒を飲もう。楽しみだ。
シンプルなもの、飾らないもの、そういうものに心惹かれるみらいです。
ショック療法。
仕事でミスって、大泣きしました。
別に人が死んだとかじゃなくて良かったけど、被害妄想とか、人間不信とか、いっぱいいっぱい出ました。そして熱も出ました。
そうしたら、視界が拓けたような気分になって、今まで仕事でなぁなぁでやってきたところ、手を抜いて、出し惜しみしていた癖を一つ一つ認識し、潰していけるようになりました。
すごい。
私のせいじゃないのに、どうして私だけを悪くいうのー!?
っていう小さい時の感情が蘇ってきて、とてもとても辛くなりました。
でも、その辛さを次の仕事で挽回することができて、そして次の課題も手に入れることができて、この壁は次のステージに上がる前に、一度落ちるっていうあれだわ、と思いました。
いろんな成功法則や、成功者の体験の中によく見受けられるものがあります。
「成功の前には必ず落とし穴がある」
例えば人気商品の生産量を上げようと思ったら、工場が潰れた、とか。
会社の業績が上がってきて、忙しくなってきたら、配偶者から離婚話をもちかけられた、とか。
本当にやりたいことをするために仕事を辞めようとしたら、周りの人から強く止められたとか。
受験直前の模擬試験で、今まで順調だったのに不合格圏内に入った、とか。
転職が決まったら、入社前にその転職先が倒産したとか。
それらが起こる理由で私がずっと覚えてたのが、多分本田健さんの講演会で聞いた「その逆境は、より高く飛ぶために必ず必要な上昇気流です。それでもあなたは本気でその夢を実現したいのか、試されているのです」って話。
だから、その逆境に負けずに進めた人が成功できるんだよって話でした。
でも、今回の自分の落とし穴はその上昇気流としての役割もありながら、もう一つ重要な意味が含まれていたと気づきました。そしてそれはすぐに分かりました。
「より高いところに行くために、捨てなければいけないものがありますよ」
そういうメッセージでした。
現場の中で、どんどん先輩になっていって、たいていの人は辞めていって、教える立場になってしまった。
前回書いたはず。実力がないのに、上司になってしまって、多分驕りがあったんだと思います。でも事実、自分が注意したり、引っ張っていかなければ現場が回らないこともあるんですが。
実力以上の自分でいようとする驕り。そして広がる違和感。それを是正したくても出来ない焦燥感。
それを捨てるための出来事だったんだなと思いました。
以前は上司と会話してても、分かったような口を聞いてました。上司より専門知識があるし、経験もあるっていうところにあぐらをかいて。
でも、やっぱり私はまだ若造で、人間性もまだ全然お子様で、いざとなったらパニックになるし、うまく立ち回れない。まだまだ上司から育ててもらう立場にあるっていうことを、今回の失敗で顔面に叩きつけられたような気持ちに、それはそれは大きなショックとして心に刻まれたわけです。
これって大人になるプロセスなのかなーと思います。
いや、大人なんだけどさwでも大人って自覚は全くないよ。きっと死ぬまでないよw
つまり、若い人ほど自分を年寄りだと思う。
それは視野が狭いゆえに、何にも見えてないくせに「もう先が見えた。このまま進んでもどうせダメだ」と早合点したりね。
逆に視野が狭いからこそ「俺はお前らより知ってるんだ。できる人間なんだ。俺が教えてやる」と自分の実力を見誤って、偉くなったような気でいるとか。
大人になる(年を取ることではなく)ことは、等身大の自分でいるってことなのかもしれない。
自分はまだこれだけしかできない。まだまだ知らないこと、勉強し足りないことだらけだということを知る。
卑屈になったり、驕り高ぶったりせず、じゃあこれを補おう、ここはあの人に頼もう、と出来ることを淡々と片付けることが出来るようになる。
そうしてコツコツ進んでいく。
自分も人も信用しない。確固として間違いなく確実な完璧な人間なんて、自分を含めて存在しないんだという「事実」を直視出来るか。
その「事実」を直視した上で、じゃあどうすれば良いんだろうか、と工夫していく。
もうそれだけで人間としても、仕事をする上でも、十分なんだと思う。
完璧な人間であろうとしない。相手にもそれを求めない。だから楽しんで一つ一つの不完全さを補えるようになるよう工夫をしていく。
そうやってシンプルに生きていけたらな、と感じました。
今までいろいろごちゃごちゃ考えてきたものが、ショック療法で外れて、捨てられました。
今もまだ苦しいし、悲しいし、悔しいけど、不完全な自分を責めずにそのままを見て、ここから出来ることは何かを必死に考えていきたいと思います。
新人になったつもりで、また一から、謙虚に、がんばろう。
私も仕分けられました。
博多華丸大吉の大吉さんが若手のネタのダメ出しをするライブに行ってきました。
今、自分が仕事に対してぶつかってる壁を壊されたような気分。
どんな仕事でも、他の人と差をつけるには、普通の人が「まぁいいか」と妥協してしまうところで、踏ん張ってこだわっていくしかないんだなとビシバシ感じました。
今の会社にはその会社しか知らない人ばかりなので、自分が出来る人に見えている。でも、私は前の会社の先輩の位置に立てているかと言ったら、全く立ててない。でも上から引き上げてくれるような先輩もいない。
周りからの評価の高さと、自分の中の「自分はそんなに評価されるような場所にはいない」という自己評価のギャップが辛くなっていて、でもなんとなく毎日を過ごしてしまって、ダメだよな、でも何から始めよう、とモヤモヤしていました。
自分だって改善しなくちゃいけないところだらけなのに、上司が専門性を欠いた人なので、自分が先に提案したり(それでもすぐには分かってもらえず、何人もの人を毎回巻き込まなくてはいけない)、他の専門家に相談したり、調べたり。部下に教える仕組みを作りたくても、上司はわかってくれないから、一人でやらなくてはいけない。
多分、それが結構辛いんだということも分かった。
ド素人集団の中で、孤独だったんだ。わかってくれない人に理解させるなんて、そんなめんどくさいことはしたくないし、私が努力してもやっぱり理解なんてできないことも多いしね。
その中で専門性を上げる必要はあるのか。余計、自分が他の仕事を背負い込むことになるんじゃないか。だったら最初から努力せず、今の場所でそこそこやっていけばいいんじゃないか。
そうして沢山手を抜くことを覚えてしまった。でもそんな自分が嫌いだった。ホントはもっと実力があるのに、それを出し惜しみして、仕事で全力が出せないから本気で楽しめない。楽しくない。中学生になっても、ひらがなドリルやってるようなものですから。ホントは高校受験用の漢字ドリルが欲しいのに、自分で「いらない」って遠ざけてた。
でも、大吉さんのほんのささいな所に注目して、そこをとことん研究して、勉強していく姿勢をストレートに感じて、「誰のための努力?」って思ったのです。「誰のための手抜き?」って。
誰かに評価されるため、または誰かに評価されないから。だから努力したり、手を抜いたりするんだろうか。
そうじゃなくて、これは自分自身、ズルしたり、手を抜きたくなる自分との戦いなんじゃないかって。そうして自分が納得して出すものなら、上司も「うちのサービスは良いものだ」と思って、営業にかけられるんじゃないか。より売れるんじゃないかって思ったのです。そうしたらみんながハッピーになるでしょって。
自分が周りを引き上げる。自分だって低いけど、でも5ミリずつでも良いから、少しずつ上がっていくしか道はない。簡単に上がれるようなところなら、簡単に下がってしまうから。芸能界も、他の仕事もそこは同じだと思う。
細かいところにいかに全力を注げるか。こだわれるか。泥臭い地道な努力を諦めずにできるか。
上司が引き上げてくれるんじゃなくて、自分が上司を上げてやる部下がいい部下だって、話に聞いてただけで、全然腑に落ちてなかったなーって。
そういうことだって。そういうところまで考えられるか、それともなぁなぁでやって、そこそこの働きをして、給料だけ貰ってれば満足なのかって。
まずは気持ちね。気持ちの部分から変えていく。今までの妥協して、見えなくなっていたところをきちんと気づいて、見える化する。
もう1年くらい?いや…今の会社に入ってからだな。
なんでもかんでも妥協してきたんだと思う。見ないふりをして、我慢している方が簡単だもん。
ここで苦しいけど光を当てて、自分の人生を1から組み直さないといけないかも。
ん?この状況ってどこかで見たことあるぞ、と思ったら、10年前なのね。
その時も物を捨てたら、少しずつ自分と向き合うエネルギーが湧いてきたんだっけ。
掃除の力ってこういうことだと思う。
そうだそうだ。断捨離とかミニマリストとか、流行になるのはいいけど、それに違和感を感じてたのはそういうところだ。
自分の周りの環境を整えるってのは辛いことだと思っているからね。見なくてもいいことまで見えるから。そこに向き合えないタイミングだったら、無理してやらなくても良いと自分は思ってるから。
成長することは楽しい。楽しいのは楽ちんだってことじゃない。苦しいことも含めて楽しめるかってこと。人のせいにして「できるフリ」をするんじゃなくて、「本当にできるようになる」と楽しい。
物が減れば、自分の頭で考えて工夫して暮らす、毎日のメンテナンスをきちんと行うっていう大変な作業が待っている。妥協せずに選別するという作業も、結構大変だ。
こういうのを人に言うと「あなたは強いから」って言われて、またやっぱり孤独で、苦しくなるけどね。自分の強さゆえに余計苦しくなることもあんのよw誰かに依存して平気だったら良かったけど、そうじゃないから。
また自立具合が増えたら、もっと孤独になるけど、でもそうして生まれてきたからね。仕方ないね。
心のなかでの親友として、又吉さんとか、大吉さんとかを思い浮かべながら(別に漱石でも芥川でも太宰でもいいんだけどw)がんばっていきたいと思います。
そういえばガラクタ捨て後の大学生の時は、素直に全力でバイトしてたもんなぁ。それで結果的に売上も妙に上がったりして。あの現象をまた起こすぞ。
世代論たのしい。
最近のブーム。いや、もう何度目かのブームなんですけど。世代論を勉強したいわ。
以前どっかで書いたと思う、職場の40過ぎのオッサンが自爆してました。もうだめだな。社会的に。
40過ぎは私の中ではオッサンではないですが、絵に描いたようなバブル世代なので、あえてそう言ってます。馬鹿馬鹿しすぎてだな。
劣等感が強いけど、実力以上の自信と謎の楽観視があって、見栄を張るために嘘つきまくり。それで自分の首を締めて、中身の薄っぺらさを見透かされて誰からの信頼も得られない。こういうことですな。
それが20代ならね。ちょっと尖ってる、劣等感があるぐらいが成長するパワーに変えることも出来るんだろうけど、40半ばになって、すぐバレる嘘ついて会社の不利益になるようなことを何度も何度も繰り返すって…なぁ?
もちろん、どの世代にもそういう人間はいると思うのだよ。でも、あまりに45~55歳くらいの人間に多すぎる気がする。強烈過ぎて多いと勘違いしてるのかもしれないけど。同時にその親世代も似たような人多いよねぇ。
50代半ばくらいになると急にいなくなるんだよね。団塊ジュニアだけ何だか浮いていて、ついていけない。同世代についていけないわっていう団塊ジュニアとは仲良し。
人に教わるのが苦手。相手が自分に合わせてくれると思ってる。人(年下、男性なら女性、女性なら若い女性、有名人など)を過剰に見下し、自分は「こんなに分かってるでしょ」アピールをするのだが、口では自分を落とすようなこと(もちろん本心ではなく)を言って人から責められないよう予防線を張る。
過剰な自信があるため「こんなことも出来ないの?」「こうするのが『常識』(この単語大好き)でしょ?知らないなんて何て非常識なの?」ということを、本人に匂わせる。または自分へ好意的でコントロールしやすい人間を捕まえて「あの人ってこうなのよ…」と裏で手を回す。
コントロールしやすい人間にはいい顔をする。で、取り巻きを作って、自分の責任の所在を曖昧にするのが得意技。個人に対して集団で責めたりする。
あー、何か色々嫌なこと思い出してしまったw
そのパターンに気付いたのは大学生の時。
今回のオッサンは頭が悪い人だったから、誰もそいつの味方はいなかったので事はスムーズにいきそうで良かったです。
でも下手に頭が良かったり、カリスマ性があったり、外見(名誉とか)が良いと、標的にされた時にめんどくさいんですわ。おかげでそいつがいる街全体も大嫌いになりましたw
依存心の塊なので、自立心のある人間は標的にされやすい。
私だけではなく、そういう話を友人、知り合いからも多く聞くようになって、その知識が蓄積されて、世代論に行き着いたわけです。
あまりに理不尽な生き物なので、そうなってしまった理由を知って、すっきりしたいのかもしれませんw
社会状況が恵まれていたから、何しても上手くいって、お金が貰えた世代なんですよねぇ。環境のおかげで上手くいったことを自分の実力だと勘違いしてる。物やお金を多く持っていれば自分は上だというよく分からない価値観。逆だと卑屈になったり、劣等感をこじらせて、恨みつらみの塊に。
そういえばうちの親もギリギリ入ってます。
おおお、そっか!親の思考回路が嫌いだから、同じバブル脳が無性に嫌いなのか!(゚∀゚)
スッキリしたwそうかそうか。親の価値観が馬鹿馬鹿しくて、ムカついて、いちいち見下してくることへの怒りがまだ残ってるから、似たような人間を見るとこんなに反応してしまうのか。
ほうほう。そうしたらもっと怒っていいのだ。怒りが出てこなくなるまで吐き出すのだ。
おまけ。
バブル世代の考え方・行動がひどいと話題!! - NAVER まとめ
多分、自分の価値観とか悪い所もバブル世代とかぶるところがあるから、余計ムカつくんだろうな。同族嫌悪だ。
買うことでシンプルに。
テレビ台を買いました。買ったら、逆にテレビ視聴減ったんですけどねw
でもお笑いとか、マツコさんの番組とか、映画とかをまとめて見ることがあるので、一応まだテレビは手放さずにいます。ゲームでも始めれば良いんだろうけどね。
今までは木製の小さい花瓶置きみたいなものに置いて、細々したコード類もブック型小物入れに入れて、バラバラに床に置いていたんだけど、床掃除が不便でした。あとコードもごちゃごちゃになってた。
背面からコードを出せる、カラーボックス型の小さいテレビ台にしたので、背面にコードを隠すことが出来て、逆にスッキリしました。すごく嬉しい。ホテルのような部屋という目標なので、すこし近づいた気がします。
ガラクタ捨てをしまくったのに、物はどんどん買ってる気がします。
無印のプラケースの上に置く為の板も購入しました。
あと生ゴミ用のシンク下に入れるミニゴミ箱。それまではふた付きのゴミ箱でした。
あ、そこまで買ってないかwあと無印のフェイスタオル。それくらいかな。
高校生の時が汚部屋ピークだったんですが、その時は物が多いのは収納がないからだ!とばかりに収納用品や壁につける棚とかを買いまくってたことを思い出しました。
そして物を増やして、全然片付かない部屋にうんざりしてました。
物を減らしてから収納用品を買うからこそ、生かされるんだと思います。
「まずは捨てろ。話はそれからだ」
10代で出会った2chの掃除板での名言です。
片付ける前に収納買いたくなっちゃうんだけどねwまずは収納のない状態で過ごしてみて、考えて、調べまくって、そして吟味して購入するのが良いんだな。
今までは突然人が来たらお招き出来ない状態だったけど、今は急にエアコン壊れた!明日電気屋さん来ます!ってなっても大丈夫♪
疲れて家に帰って、げんなりしないって何て素晴らしいんだろうと思います。
あー、でもまだ捨てられるなー。少しずつ捨てよう。