前回の続きっぽいですが。
『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』の中にこんな言葉がありました。
(前略)頑なな自我に目覚めが起こるために、最初に必要なものは何でしょうか?
自分に対する疑問です。自我にとっての自分、すなわち思考に対する疑問です。
(中略)
私たちは自我ーーー自分の信じていること、自分の考えていることーーー を疑うことなく、自分以外の人の考えはすべて間違いに感じられるのです。
『「いまここ」にさとりを選択する生きかた
やまがみてるお著 より引用
ここを読んだとき「あっ( ゚д゚)」と思いました。
もしかして今まで出会って来た人の大半がこの「自分以外の人の考えはすべて間違い」だと思ってたんじゃないか、と。
そして自分自身もこの自我との同一化が起きていたのではないかと。
だから私が精神疾患になったときの上司も、私を潰そうとしてきたおばちゃんも、自分だけが正しいと思って、私に接してきたんじゃないか。
私が彼らを間違っていると思ったから、鏡のように映し出しただけなんじゃないだろうか。
そう考えると合点がいきます。
ただただ私が考えていることが具現化しただけだったんだ。
病気になったのは「私だけが正しいのに、どうして間違っているなんんていうの」という自己憐憫、悲劇のヒロイン状態が内に向かっていってしまったから。
なーんだって感じです。
ずっと精神疾患にさせられたことを恨んでたけど、みんな多かれ少なかれ自我の同一化が起きている。
私もそれに飲まれていたから、自然現象として、宇宙のルールに従って起きたことなんだと。
土に種を蒔き、それが芽となり、木になっていくような自然なことだったんだ。
そうしたら恨みがスッと消えて、自分が引き寄せたことだから仕方ないねって思えるようになりました。
上京してから、日々の生活に精一杯で、スピリチュアルなことにあまり関心を持っていなかった。
そしたら自我の同一性、自我に振り回される自分になってたんだなぁ。
7年かけて、改めて自我に振り回される人生を歩んできたんだ。
それで今、自我を俯瞰出来るように練習しようと思っている。
そうすると自我はそれを拒否するんですよねぇ(;´∀`)
今も「私が正しい」だの「さとってもどうにもならない」って暴れてますw胸のあたりがもやもやしてます。
でもそれも見つめるだけ。いつかは自我が負ける時が来るのを知っているから。
それまで自我を見つめて、瞑想をして、本を読み返していきたいと思います。
本当の自分で生きたいから。
良いことを引き寄せていきたいから。
より心も物質も豊かになりたいから。