加藤諦三さんの本を読んでいます。胸にしみる・・・かえでです。
加藤さんの本には高校生の時に出会って、しんどくなると本屋で探して読んでいます。
で、読んでて思ったり、Twitterでも似たようなことを読んで、少し腑に落ちた感じ。
自分に期待できない人が、他人に期待する。「私は自分で幸せになれないから、あなたが私を幸せにして」と。そして期待に応えられないと怒る。それはとてもお門違いな怒りなのだけど。だって、期待されている側は「幸せにする責任」をいつの間にか負わされているという事実を、知らないのだから。
— 心理カウンセラー 三浦望 (@hr_m_nozomi) 2017年11月17日
母親からやられてましたね、これ。
旦那にも学歴にも恵まれない(と勝手に本人が思ってた)から、優秀(だと見誤れてた)娘に「自分の代わりに一流大学に行って、一流企業に入って、一流企業の男と結婚しろ」と遠回しにいつも期待されてました。
私が鬱になったきっかけの上司にも勝手に期待されて、人のやる仕事量以上を押し付けて、コミュニケーションもせず、更に私の苦手なことを拒否してもやらせようとしてきていた。
それに対して強く反発出来る自分だったら良かったんですけど、親と同じパターンだと、「出来なくても頑張らないと」ってなっちゃうんですよねぇ┐(´д`)┌
でも病気になって、それが出来なくなって、自分の好きなこと、出来ることしか出来なくなってしまった。そしてそれが良かった。
日本社会では「努力すれば何でも出来る」的風潮がありますけど、無理ですから。
「苦手なことを克服することが成長だ」も嘘ですから。
得意なことをして、助け合って、それで上手く回るのに、それに気付かないのは何故。
相手が壊れるまで気づかず、声の小さい人に押し付けて、病人を量産して、自殺者を量産するのは。
これからは、人の顔色を見ずに、自分のために生きたい。
自分のご機嫌を取って、心に余裕を持って、人を笑顔にする人になりたい。
もう誰かのご機嫌は取りたくない、取れない。
だから、国の使える支援はいっぱい使おうと思います。
現時点で使えるのもあるのかな?
誰かの力を借りないともう駄目になりそう。
沢山の居場所を作って、倒れないよう、休み休み、なんとか生きていこう。
その中で自分の好きなことが見つかれば良い。
やりたいことをやっていこう。