楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。フレイロマンティックアセクシャル。ノンバイナリー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

楽しいことを人生の中心に据えよう。

夏の自分は、仕事で色々悩んでいたみたいなんだけど、最近は吹っ切れて、むしろ調子良い感じですwどうも、生きてました。

 

たまたま見てたネット生放送で、過去10年の自分の価値観とぴったりなことを仰っている方がいて、興奮して久々にキーボードを叩いています。

その間に、アクセサリー作りにはすっかり飽きてwでもイラストはずっと描いてました。

 

そう、イラスト。イラストのために私は今生きています。生きる意味が表現することなんだって、小さい時は当たり前に思ってた価値観を、受験だ就職だで忘れかけていたんですけど、またもとに戻ってきました。

 

でも、このブログでもちょいちょい言ってましたね。

 

「人間は自分にとって楽しいことをしていれば、人生が上手く波に乗るように出来ている」

 

で、更にいえば、むしろこれからの社会「楽しいことにお金が集まっていく」と信じて、楽しそうな方向をずっと追いかけていました。その考え方の師匠は斎藤一人さんだったり、本田健さんだったりしますが、でもきっと自分の心が元から持ってる価値観なんだと思います。

 

でも、どうでしょう。私の職場はそうなんですが、「自分が何をしているときが楽しいか」を明確に意識している人はほぼいません。

これをしていれば、自分はなんとか生きていけると思えるような楽しいこと。そういうことがなくてどうしよう、探そう、としている人すらいません。

 

そうなると、職場という人生の中でごく限られた世界であるはずのものにすがるしかなくなるんですよね。視野がどうしても狭くなる。

そうなると保守的になる。失敗を避けるようになる。それを周りにも押し付ける。それに周りも巻き込まれる。暗くなるから病気になる。病気になるからお客さんも離れていく。

 

お金が回らなくなりますね。まぁ、当然のことです。

 

 

人はニコニコしてた方が良い。夏は自分、モチベーション下がってたみたいですけどね、いや、今も低いんですけどw

でも、とにかく周りの暗さは全面的に無視をして、時々イラッとすることもあるけれど、飄々と、マイペースに、フラットな気持ちで仕事が出来るようになりました。空気なんて読まない。ふんふーん♪って鼻歌歌いながら、自分ひとりで楽しくやってますw

空気読めない子に、空気読めないですよねって言われるくらいには空気読んでませんw相当社員同士ギスギスしてるらしいけど、私、全然知りません。首も突っ込まないし、裏で勝手に色々言われてても気にしてません。

だって、仕事は私の人生じゃないから。私は人生を楽しく生きてるだけ。今、ようやっと毎日楽しいです。

 

でも何故か機嫌よく仕事してると、私がいる日はトラブルもなくなって、結果、仕事が早く終わるので、周りがダラダラ残業してても、空気なんて読まずにさっさと帰ってます。で、周りからもあなたがいる時はトラブルないね、なんて言われたり。

 

で、早く帰って絵描いてます。

で、何故かお金ガンガン使ってるのに減りません。ちょっと減っても、また増える。

漫画だのアニメのDVDだの映画だ、美術館だ、美術書だーと好き勝手に買ってる感じなんですけどね。

 

でも、それはきっと楽しいことにお金を使ってるから。

金は天下のまわりものってこういうことだと思う。

楽しくお金を使ってると、お金の存在を忘れるんですよ。

で、気付けばお金が貯まっているという。あんなに貯金崩してたのに、気づいたらまた増えててビビりますよ。

 

多分、仕事でもストレスかからないか、もしくは家でやる趣味のことであっという間に昇華出来るからか、ストレス発散のための浪費がなくなるからかな。「自分へのご褒美」っていくらやっても満たされないから、どうしてももっともっとってお金がかさむんですよね。

 

絵を再開したのが今年の6月なんですけど、その前に「自分の好きなこと探し」ってのをやってたんですよ。

 

毎日のことに追われて、自分の心の感性が鈍ってる!危ない!って。1年以上前からだなぁ。恋人と別れてからかなぁ。

 

楽しそう!と思ったものには何も考えずにお金を使おうって意識してた時期があったんです。

素敵なお店っぽい!と思ったら、とりあえず入ってみたり。

気になる映画は見てみたり。

 

で、ときメモにハマって、本体、ソフトだけじゃなく、長時間疲れない椅子も買って、照明買って。で、キャラを絵描きたくてペイントソフト買ったり、PCのディスプレイ買ったり、設定資料集買ったり。

更にPCの調子が悪くなって、あと低スペックすぎて描きづらいから新しいデスクトップPC買ったり、アナログのつけペン一式買ってみたり。漫画読むためにちょっと良い電子書籍リーダー買ってみたり。

 

 

楽しいことに使うお金って、楽しいんです。当たり前。

でも、本当に心から楽しんでないのに消費されるお金って、楽しくないんです。これも当たり前。

 

これ、稼ぐときも一緒です。

 

ふんふーんって楽しい気分で稼いだお金って、大事に使うんです。楽しくないことに使うのもったいないなーってなっちゃう。

我慢して、苦しんで稼いだお金って、その苦しみを消したくて、自分の身の丈に合ってないような贅沢とか、人によく思われたいとか、そういう邪心が入るんですよ。

でも邪心で使うお金は楽しくない。高揚感はあっても、幸福感がない。だから余計欲しくなる。次こそは満足出来るんじゃないか、もっと使えばもっと幸せになるんじゃないかって。

 

残念ながら下心で使うお金では幸せになれない。どこかで、自分の中の本当の自分に嘘を付いているから。その嘘を、自分自身はちゃんと気づいているから。で、気付くと手元からお金が消えている。

 

 

お金関係の自己啓発本で、まずたいてい最初に出てくるのが「自分が心からワクワクすることをしよう」なんですけど、今自分がそれを実践して、実感してます。

 

しかもそのワクワクすることは、小さい時からやってた絵ってところが、まさに自己啓発本的。教科書的ですねw

 

 

そんなの見つからないって人は、見つかると思って探してみると、見つかる、と思うんですがどうでしょう。

私、きっと自分が心からワクワクすることがあるはずと思って、正確に言えば16歳くらいのときにはもう見失ってたんで、それからずっと探してた気がするんですよね。29歳で見つかりましたけど。13年って意外と短かった気がします。

で、探すプロセスも苦しかったけど楽しかった気がします。

 

ある時は演劇だったり、それこそアクセサリー作りもそのプロセスだった。学問にも一生懸命取り組んで、まぁそれなりに楽しかった。仕事にも心からのワクワクが見いだせるんじゃないかって猛烈に勉強しまくったこともあります。広告ライターのバイトもしたし、飲み物好きだから色々試してみたり。お酒も飲み比べとかして。

ピアノ再開もしてましたね、そういえば。あとスペースクリアリングしたり、スピリチュアルにハマってみたり、占い師したり、カウンセリングに行ってみたり。前世療法だの、オーラソーマだの、スリランカ仏教だの、神との対話だの・・・思いつく限りのことを試して、探してました。旅行や映画、小説、カフェ巡り。

見失ってるから人と会ってみよう、で長く付き合う友達も出来たりね。こうやって書いてみるとまさに迷走だなwあ、ヨガもやりましたね。ジョギングもしてみたり。あと1年見つからなかったら、多分フットサルチームに入って、ゴスペル習って、プログラミングやってたよ自分w

 

好きなことが見つかったら見つかったで、自分の絵が下手すぎてびっくりしてますwその分、苦しいですけど、その苦しさに揉まれるのがすごく楽しいんですよ。大変だけど、ワクワクする。一生かけてやってくんだから、これくらい下手なところから始めても、まぁ目が見えなくなるまでは少しは上達するでしょって感じですね。

絵を描いている時は、孤独も悲しみも怒りも、全てがモチーフになります。すごく心が安定する。仕事の苦しみもいっぱい味わいたいってなる。味わえば、また描けるものの幅が広がる!嬉しい!って、もう変態の域です。

 

もし高校生の時に自分は絵が好きだ!と気付いて、芸大か専門学校行ってたら、今みたいな色んな経験は積めなかったんじゃないかって思うんです。人と比べてばかりで、多分縮こまっておしまい。だって別に特別な絵の才能ないもん。上達も遅いしさ。

 

だから、自分の人生捨てたもんじゃないじゃんって。才能ないって分かってても、少しずつ努力出来る今の自分が形成されたこのプロセスって素敵やんって。

 

でも、人間は楽しんじゃいけない、仕事をちゃんとやらなきゃいけない、エリートにならないと、高学歴高収入じゃないと幸せになれない・・・なんて考え方に囚われてたら、こーんなに楽しい人生送れてなかったと思います。

 

それは根本のルール、価値観が違ってるから。

自分基準、つまり自分が何をしてたらしあわせか、自分の中から溢れるものに従うか、それとも親の世代の古臭い、20世紀的価値観に踊らされて自分を見失うか。

これからの社会、世界、この違いってでかいと思うんですよね。

って言っている人は、10年前は自己啓発とかスピリチュアルの世界の人たちだけだったんだけど、今は経済を回すような人たちが言い始めてるのが、すごく嬉しい。

 

大学生の時から、それだけは私も大事にしてました。

「単純作業、つまり辛い作業ってロボットや安い労働者に代えられる社会になるはず。

だったら人間にしか出来ない、人間にしか付けられない付加価値ってなんだろう?」って。「その付加価値を創造出来る人材であろう」って。で、その付加価値は楽しさ、だった。

 

なので介護職を始めた時に、まず身につけようと思った能力は介護技術ではなく、傾聴や人間力。自分と相手に素直になって接すること。嘘をつかないこと。相手の大切なものを認めること。安心を与える接し方。相手の気持ちいいツボを押す方法。人間の楽しい嬉しいってそこだよねって。自分を分かろうとしてくれる、自分の想いが伝わるって実感させてくれること。そこはロボットには出来ないねって。

数字にならない技術を身につけておけば、それが武器になる、と信じてやってきました。

今も結局、そこで仕事してるし、お客さんにそこがウケてるって感じてます。だからお客さんの方から助けて貰えるし、小さなミスくらいなら笑って許して貰える。贔屓されてるなって感じてます。職員からのウケは悪いかもしれないけどw

でも最低限の仕事を、素早く出来るように訓練してるので、文句は言われないから良いかなぁ。文句を付けられないように仕事はしてる。皆の取りこぼしを全部拾ってますから。そういう計算するずる賢い末っ子ってやーねw

 

でもここの部分は自分の課題。ビジネスライクすぎるんだよな、仕事の仕方。でも必要以上の残業って意味が見いだせないし、それやりだすと絶対自分が病むからやりませんけど。なんで一緒に暗くならなくちゃならないのだ。それを求めてくる上司の目線は見ないふりですw

でももっと良いやり方ないのかなぁ。うーん。

 

自分にとっての楽しい。それを追求していくことが重要。

会社は嫌いだし、上司もなんでわざわざ苦しむ方向に自ら行ってるのか理解不能だけど、仕事自体は楽しむ工夫を惜しみません。それでとりあえずは良しとしてます。

私の今の人生の中心は表現すること。それが結果的に何らかの形で世に出たら良いな、一緒に楽しんでくれる人がいたら良いな、仕事になったら良いなとは思ってますけど、別にそれは目的じゃあない。

 

今、絵を描くことを中心とした楽しみを、人生の第一優先として据えて、生きてみよう。そう決めたことで、今までのモヤモヤが嘘みたいに晴れて、孤独や貧乏すらも気にならなくなって、心が軽くなっています。

やっと私はここに来て、幸福な状態を知りました。もうそれで良いって思います。

このために生きている、と感じながら生きることがこんなにも楽しいなんて。

 

いつかこの幸福感がなくなるんじゃないか、とちょっと不安になります。不安になって、半年近く経つのに、でもまだしあわせなんですよねぇ。心が穏やかなんですわ。

 

いつか終わるのかもしれない。でも良いや。

終わるってことは、これもまたただのプロセスだっただけだってことだもの。それだったら全然怖くない。

 

楽しさの追求。

これが私のこれから当分の人生のテーマなのかもしれません。