楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。フレイロマンティックアセクシャル。ノンバイナリー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

何のために仕事をしたいんだろうか。

ゲームプレイから、お絵描きの勉強をし始めて、更にアクセサリーづくりも着々と続いていたら、まただいぶ放置していましたw

 

そんな中、ふと仕事、キャリアで躓いて、苦しくなって、ちょっと今日壁にぶつかったみたいでメモメモ。

 

上司が変わって、素人になって、専門職としての自分のプライド、自信を保つのが難しくなって、その我慢がだいぶ溜まってきていて、苦しくなっています。

どうやら。

我慢強い人間なもので、なかなかどうしようもならないところまで来ないと自覚したり、整理出来ないので、倒れる前に認識しておかないと。

 

現場で自分は専門家として発言したり、仕事したり、連携を取ろうとしているんですが、あまりに素人が多くて、更に勉強意欲もない人間が上にいるものだから、とても苦しい。

業界、専門を全く知らない人間が上にいるものだから、社外に伝えたいことを伝えるのに精一杯。

そして職人肌のコツコツ、黙って穴をしっかり潰していくようなタイプの自分は、別部署の専門性の高い仕事が出来る人や、最近入った自分と同じくらいの経験値、知識量の新人からは認識されているけど、いかんせん上司には空気のような存在みたいです。

 

同じような理由で、同世代の内勤の女の子も病んでいるようで。我慢しちゃう族。会話がいつまで経っても通じなくて、ただ根性根性と昭和の日本企業みたいなことしか言わない。見てるところはとても浅くて、頑張る気力なんて出ようがない。

 

毎日モチベーションが下がって下がって。でももうどこが大事なんだよって説明はしたくない。十分した。しすぎるほどした。それを理解しようと歩み寄ってくれないなら。

 

もういいや。

 

諦めの境地に入ってしまったのを自分で感じてしまった。

 

そうしたら今週、急にメンタルががくっと落ちてしまいました。

ずっと止めていたデパスを再開。でも気休めなんですよね。根本に働きかけないと。

 

どうしても根性だの、上からの指示に従おうとする自分の頭で考えられない思考停止なところとか、努力だとか、そういったことに執着する割に、部下とのコミュニケーションはおざなり。何もかも馬鹿馬鹿しい。

 

最初はさ、アシスタント的な立場の子も、上司を立ててたけど、病んじゃったし。私もただただ最低限の仕事をするだけ。空回りしてるの気付いてないのかな。

 

苦しい。悲しい。苦しい。

 

でも、こうして苦しい時は、壁にぶつかった、つまり壁があるところまで歩いてきた証拠なんですよね。

こう、自分の皮が一皮むける前っていうか。

夜明け前が1番苦しいっていうか。

 

 

で、必死に考えて考えて。

 

他人の評価、認識。それがないと、社会性が満たされないと、人は病むと思うわけですよ。

自己実現の欲求を求めるタイプ、社会性を求めるタイプ、衣食住の充実を求めるタイプとかマズローって偉い人は言っていたけれど。

元々自分は自己実現欲求の強いタイプだけど、それでもやっぱり企業に身を置いているうちは社会性、客観的評価ってのを求めているんだ自分は、と発見。

前の会社の上司が、超ベテランで、女だから男だから、自分が付き合いやすいからそうじゃないからって評価をコロコロ変える人じゃなかった(当たり前だけど)ところが余計に苦しい。今の上司は(仕方ないけれど)経験の割にビジネス的な人付き合いが出来ない人だから。主観でしか見られない人だから。

 

そういうどうしようもない上司を持った時に、人はどうすれば良いんだろう。

 

で、また考えた。

 

とりあえず出来ない上司はどこにいっても売るほど(売りたいほどか?)いるはずだ。最低限が出来ない人間だって、役職がついてしまうのは仕方がない。

そんな縛りプレイなこの人間界において、じゃあ自分が仕事をする意味ってなに?私は仕事を通じて何をやりたいの?上司に評価されたいのか?それは二次的なもので目的じゃないはずだ。

 

そんな感じで、根源に向かって自分を掘っています。

仕事をし始めて丸5年。きっとね。きっと。キャリアを振り返らないと、「今までのルールで仕事をすること」が、限界に来てしまったんだと思ったわけです。

去年くらいなら、まだ今の上司に合わせてあげられたけど、それが出来なくなってきた。成長も鈍化してきたし、また成長を求めはじめたのかもしれない。

ズレてきてしまったんだと思うんだ。

 

我慢ならねぇ!ってなった時、人は行動するパワーを出すことが出来るし、残念ながら地球では行動することでしか物事が動かないようになっているわけで。

 

私が中学生くらいからずっと持っていた、仕事で実現したいことは「悲しかった人が何かのきっかけで少し気持ちが軽くなる瞬間を見ること」でした。なりたい職業がいくつ変わっても、それだけは変わらなかった。大学の時の長期バイトも、ひたすらそれに向かって動いてたし、だからこそ楽しかった。

今もそれはすごく楽しい。それに自分が携わらなくても構わない。その瞬間に立ち会えればそれでいい。

 

でも、その根源をもっと発展させたいのか、それとも求めるものが変わってしまったのか。

 

それは今はよく分からない。

 

人は楽しいと思える方へ進んでいけば、自然とうまくいくように出来ています。

今楽しくないってことは、楽しい方向へ進むための指針みたいなもの。

 

また楽しい方に戻れるように、考えたり動いたりしてみます。