仕事でミスって、大泣きしました。
別に人が死んだとかじゃなくて良かったけど、被害妄想とか、人間不信とか、いっぱいいっぱい出ました。そして熱も出ました。
そうしたら、視界が拓けたような気分になって、今まで仕事でなぁなぁでやってきたところ、手を抜いて、出し惜しみしていた癖を一つ一つ認識し、潰していけるようになりました。
すごい。
私のせいじゃないのに、どうして私だけを悪くいうのー!?
っていう小さい時の感情が蘇ってきて、とてもとても辛くなりました。
でも、その辛さを次の仕事で挽回することができて、そして次の課題も手に入れることができて、この壁は次のステージに上がる前に、一度落ちるっていうあれだわ、と思いました。
いろんな成功法則や、成功者の体験の中によく見受けられるものがあります。
「成功の前には必ず落とし穴がある」
例えば人気商品の生産量を上げようと思ったら、工場が潰れた、とか。
会社の業績が上がってきて、忙しくなってきたら、配偶者から離婚話をもちかけられた、とか。
本当にやりたいことをするために仕事を辞めようとしたら、周りの人から強く止められたとか。
受験直前の模擬試験で、今まで順調だったのに不合格圏内に入った、とか。
転職が決まったら、入社前にその転職先が倒産したとか。
それらが起こる理由で私がずっと覚えてたのが、多分本田健さんの講演会で聞いた「その逆境は、より高く飛ぶために必ず必要な上昇気流です。それでもあなたは本気でその夢を実現したいのか、試されているのです」って話。
だから、その逆境に負けずに進めた人が成功できるんだよって話でした。
でも、今回の自分の落とし穴はその上昇気流としての役割もありながら、もう一つ重要な意味が含まれていたと気づきました。そしてそれはすぐに分かりました。
「より高いところに行くために、捨てなければいけないものがありますよ」
そういうメッセージでした。
現場の中で、どんどん先輩になっていって、たいていの人は辞めていって、教える立場になってしまった。
前回書いたはず。実力がないのに、上司になってしまって、多分驕りがあったんだと思います。でも事実、自分が注意したり、引っ張っていかなければ現場が回らないこともあるんですが。
実力以上の自分でいようとする驕り。そして広がる違和感。それを是正したくても出来ない焦燥感。
それを捨てるための出来事だったんだなと思いました。
以前は上司と会話してても、分かったような口を聞いてました。上司より専門知識があるし、経験もあるっていうところにあぐらをかいて。
でも、やっぱり私はまだ若造で、人間性もまだ全然お子様で、いざとなったらパニックになるし、うまく立ち回れない。まだまだ上司から育ててもらう立場にあるっていうことを、今回の失敗で顔面に叩きつけられたような気持ちに、それはそれは大きなショックとして心に刻まれたわけです。
これって大人になるプロセスなのかなーと思います。
いや、大人なんだけどさwでも大人って自覚は全くないよ。きっと死ぬまでないよw
つまり、若い人ほど自分を年寄りだと思う。
それは視野が狭いゆえに、何にも見えてないくせに「もう先が見えた。このまま進んでもどうせダメだ」と早合点したりね。
逆に視野が狭いからこそ「俺はお前らより知ってるんだ。できる人間なんだ。俺が教えてやる」と自分の実力を見誤って、偉くなったような気でいるとか。
大人になる(年を取ることではなく)ことは、等身大の自分でいるってことなのかもしれない。
自分はまだこれだけしかできない。まだまだ知らないこと、勉強し足りないことだらけだということを知る。
卑屈になったり、驕り高ぶったりせず、じゃあこれを補おう、ここはあの人に頼もう、と出来ることを淡々と片付けることが出来るようになる。
そうしてコツコツ進んでいく。
自分も人も信用しない。確固として間違いなく確実な完璧な人間なんて、自分を含めて存在しないんだという「事実」を直視出来るか。
その「事実」を直視した上で、じゃあどうすれば良いんだろうか、と工夫していく。
もうそれだけで人間としても、仕事をする上でも、十分なんだと思う。
完璧な人間であろうとしない。相手にもそれを求めない。だから楽しんで一つ一つの不完全さを補えるようになるよう工夫をしていく。
そうやってシンプルに生きていけたらな、と感じました。
今までいろいろごちゃごちゃ考えてきたものが、ショック療法で外れて、捨てられました。
今もまだ苦しいし、悲しいし、悔しいけど、不完全な自分を責めずにそのままを見て、ここから出来ることは何かを必死に考えていきたいと思います。
新人になったつもりで、また一から、謙虚に、がんばろう。