マウンティング、とは。
猿などが馬乗りになって、自分の優位性を誇示する行為です。
最近、自分の周りに対するマウンティング思考が顕著で、自分で自分が気持ち悪い。更にそう思っているせいで、他人のマウンティング思考も気持ち悪い。という気持ち悪いループの中にいることへの危機感が高まりまして。
多分、この3年くらいかなぁ。4年かなぁ。少しずつ自分のマウンティング思考、行動が積み重なってきて、ようやく脱出したいというパワーが貯まってきました。
ついでに。
学術的じゃなくて、ネットスラング的な説明はこっち。私が自分に対してうんざりしたのもこっち。
よく私は周りから良い人とか優等生とか優しい人キャラにされるんですけど、それを気にしだしたら余計、このマウンティング思考が辛くなってくるのねw今は結構どうでもいいんですけど。おばさん化発症中です。
周りの期待と違って、性格悪いんだぜっていう矛盾の板挟みになったりね。
でですね。このマウンティング癖を取り除きたい。脱出したい。マウンティングを阻止する習慣をつけたい。
そんな時に出会ったのが、Twitterでは最近ちょこちょこ言ってますが、「まじめ系クズの日常」というブログです。
ここで読んだ「自分が世界の中の底辺で、ドクズなんだと思う」っていう方法を早速取り入れてみました。ホントはその記事にリンクしたいんですけど、探してみたら全然見つからなかったというねw
つまり今までの習慣をひっくり返すってことです。今までやってきたマウンティングと真逆のことをする。
自分はホント中途半端なんですよ。高校までは中の上か上の下くらいの成績でした。母親の期待に沿うためにね。県内3位クラスの高校に入学して、浪人するも平均点的な大学(偏差値50くらい?)にほぼ勉強せず合格。馬鹿大学とか言われてますけどね。
大学では自分のレベルより低い大学だったので、どうやら成績はかなり良かったみたい。高校と違って校内順位とか偏差値が出ないから分からないけど、学部長クラスの教授たちがかなり優しかった。多分、大学院に来た時に欲しいと思われてたのかも。
会社入っても、物覚えが良いし、仕事早いし、年配の方との付き合いも上手いし、ちやほやされてたんですよね。若い人少ない職場だったし。そりゃ若いから物覚えも良いさ。まっさらな状態だから、何でも素直さ。それを自分の能力と勘違いしてて、あの時の自分アホだなーと思いますw
特別人とは違う何かを持ってるわけじゃないけど、平均値のところにいる人よりは要領よくなんでもこなせるっていう中途半端さ。
何か、そういう成功体験みたいなものに25過ぎて、あぐらをかきはじめたってことに気付いたんです。勘違いが始まっちゃったのです。中途半端なのに…m9(^Д^)
で、実家を出て、誰にも守れなくなってきたここ数年、その成功体験、能力みたいなものを盾に自分をどうにか確立しようっていやらしさが出てきたんです。それを鏡のようにして見せてくれた同僚にはホントに感謝してます。マウンティング仲間ね。
きっと他人基準で生きてきたんだと思う。
いやいや、そんな他人は自分のことなんか考えてないんだから、20代までに持ってたような変なカッコつけなんて早めに捨てて、素直に人から学んでいったほうが自分にとってプラスになるぞと。それを心底分からせてくれたのが、先ほどのブログです。
甘茶をぶっかけられましたよ。頭冷えました。
で、「自分はドクズ」と思いながら人に接することを試してみたら、もうこれが楽で楽で仕方がないのよ(゚∀゚)
「自分が一番人類の中のヒエラルキーの中で底辺」って思うと、恥もなにもかかないの。そしてお客さんとか同僚に対して、「申し訳ないんですけど、これしてくださいますか?」って「気持ち」になる!びっくりした。
だから相手が思い通りにならなくても、全然イライラしない。
あとどうでもいい小さいギャグとか取りにいきはじめたり、過去のすげー恥ずかしい(と思ってた)ネタをウケなくても披露できたりする。
馬鹿になれるって素晴らしい!
のびのびするね!
すんなりそんな自己改革をすることが出来た背景には、二人の先生がいるんですけど、それはまた別のお話。