ふむ。ここが自分の今の課題なような気がしてきた。
きっともう、変わっているんだと思う。根本の方は。でも、今までの習慣というか、癖というか、思考回路がまだ変わっていないんだと思う。そこは思考と行動を使って、矯正していく必要がある。気がする。
これは理想のパートナー像を考えているとふわっと浮かんでくる課題なんです。
理想のパートナー像を100個書き出すと、その人を引き寄せるってのを学生の時からやってるのです。でもその引き寄せる「動機」が邪なものだと、その邪さも同時に引き寄せてしまうのです。なのできちんと自己改革も同時に進める必要があるんです。
そこで前回の友人の話に繋がります。
私も友人と同様に「他人に自分の思い通りに動いて欲しいと思ってはいないか?」という命題です。
動機が健全ならば良いのです。相性の合う人間と出会いたい。阿吽の呼吸で居られる人間と出会いたい。
でも、私の動機はどうやら、どうにも不健全な気がしてならない。
そこでヒントになってくれるのが職場の後輩。思い込みの激しさ、他人への賞賛を何よりも求める貪欲さ、過剰なまでの自己犠牲(=承認欲求)をする人なんですが、その人に好かれているようで。
私は1ミクロンも好意はなくて、口説かれても見て見ぬふりしているんですけど。
でも好かれるってことは、引き寄せる何かが自分の中に隠れているんじゃないか?と仮説を立ててみるのです。
何事も原因を追求して、それを自分の変革に繋げるのが趣味であり、ライフワークなのです。そうやって生きてると楽しいんです。
彼に「この人は自分を認めてくれているんじゃないか?」という期待を持たせるようなことをしてしまったんだろうか。
もしかしたら自分の中に「どんな人の中にも良い部分があり、それを認めよう」とする癖があるせいなのかもしれない。
心から他人を認めようとすることは美徳っぽい。でも「他人を認めている私を誰か褒めて」っていう、自分の中にも承認欲求が隠れているんじゃないだろうか?
いや、そうだと言えそうだ。それは「他人を認めよう」とするときに「こじつけでも何でも見つけよう」という「義務感」を感じるから。同時に「他人を否定しちゃいけない」という強迫観念のようなものがある。
「他人を否定する自分は、他人から攻撃されるから危ないよ」とエマージェンシーされる。緊急事態発生!と赤いランプがピコピコひかる。
かといって別に他人を否定する…いや、私は結構マウンティングする人間だ。そこを認めないから、そういう変な人間(早速マウンティング)に好かれるのだ。
良い子ちゃんでいようとする自分。以前に比べて、本音を出せるようにはなったとは思う。嫌を言えるようになった。介護のおかげ、お客さんたちのおかげですな。
最近、実家の夢を毎晩のように見るのがヒントなのかなぁ。
実家にいたり、父親と二人で旅行に行っていたり。
で、自分にはちゃんと東京に家があるのに帰りづらいな、こんなに実家にいたら、自分の部屋が埃っぽくならないかな。ああ、でもとても遠いや。実家になんかいたくないのに、母親が私を追い出した罪悪感を消すように良い母親ぶって、恩着せがましく食事を提供してくれて、それを素直に受け取らなければ罪悪感に苛まれそうで、私も良い娘ぶって素直に食卓に座っている。
私にはこんなに気を使う実家じゃなくて、自分だけの安心できる場所があるのに。帰りたい。帰りたい。でもこのまま帰ってしまったら、後で裏でなんて言われるかを考えると帰るに帰れないぞ。そして今更帰ったところで、自分の家が朽ちているんじゃないかと思うと、もう帰れない、どうしようどうしよう。
とする夢です。もう1ヶ月くらい見てるかも。毎日ではないですが。
うむうむ。仕事中も、周りに仕事を振りながら「こんなに人にばっか仕事振って良いんだろうか。これくらい自分でやれよって思われないだろうか」とビクビクしてます。そういえば。
「私ならそれくらい自分でやれよって思うな」とか考えちゃうと、ちょっと怖くなるんです。
他人を変えようとする、というよりは過剰に他人の目を気にして我慢する自分と向き合う、って方が合ってますね。
他人の目を気にして、やっちまったこと(でも多分周りからしたら全然気にならないこと)を後から後悔して、ずーっと脳内で言い訳しているんです。
「だってあの時、手が離せなかったから」「あの人が暇そうだったから」「私にだって仕事が山積みなんだから、新人にやらせて何が悪い」とか色々。
自分で勝手にやって、勝手に凹んで、勝手に言い訳して、勝手に自爆して。
うむ。前回書いた友人と同じことをしているじゃないかwベクトルは違っていても、プロセスが一緒だw
なるほどね。ここをもう少し掘りおこして、私も友人同様、自分の心に潜む本音を見つけ出していこうと思います。