楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。フレイロマンティックアセクシャル。ノンバイナリー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

他人の感情を請け負わないようになった話。

最近、ずっと仲の良かった友達との波が合わなくなって、その代わり相手をすごく客観的に冷静に見られるようになってきた。

 

以前は共感をしていたんだけれど、どうにも理解し難くなってきた。

 

どうやら相手は勝手に周りに期待して、その期待通りじゃないと勝手に怒って、勝手に自爆して疲れているようだった。

それでイライラしていて、しかもそのイライラを周りに振りまくものだからたまらない。周りにイライラを返されても、被害者ぶっているものだから、もうね。

根本的に他人に対して「自分が言わなくても理解してくれること」を求めているのだと思う。「それをしてくれる人は良い人」「言わなきゃ分かってくれない人は鈍感な嫌な人」という分類付をしているように見受けられる。

 

 

もしかして、以前は私もそのような場所に立っていたんだろうか。

 

して欲しいのなら言えばいいだけの話。誰に認められなくても、気付いた自分がやれば良い話。なぜ周りにするように求めるんだろうか。自分の思う通りの行動を。

 

以前の私ならば、おそらく彼女のイライラを「え?私のせい?」と思ってビクビクしていたのだと思う。

しかし、今はちょっと一瞬気になっただけで、「いや、それは彼女の中の問題であって、周りの責任ではない」ときちんと客観的に見られるようになっている。きちんと境界が引けるようになった。

 

この「相手の感情は、相手のもの」と捉えることが出来るようになったこと。

そんな自分の変化がとても嬉しいのだ。

 

うむ。なるほど。おそらくそんな友人にイライラしないということが答えのような気がする。

そしてそのイライラの原因を俯瞰して見られるようになった自分も。

 

以前、私は同じ状態にあったけれど、今はそういう状態ではない、ということだ。もちろん、私自身も何かのきっかけでそういう状態に逆戻りすることもあるだろうということも含めて。

 

何故そうなってしまうのか。

私の場合も友人の場合も、母親との関係を再現しているということ。だから、以前までは同じ者同士でかなり仲良くやってきていたのだった。

 

何を要求してもケチをつけられる。自分のしたいことに対しても遠回しに邪魔をしてくる。そんな母親に我慢しながらも、それでも母親が自分の気持ちを理解しようと歩み寄ってくれるのではないかという期待。その期待を他人に向けてしまうことで生まれる不幸な気持ち。

言ったら否定される。だから言わずに我慢している。そんな自分を分かってくれないという怒り。

本来は母親に向けても良い怒り。でも怒りを向けたところで「どうしてあなたは人のせいにするの」「だからダメなんだ」と人格否定をされる。子供相手へのマウンティング。

 

そんな精神的虐待からくる、考え方の歪み。

でもどうしても母親に認められたい、関心を得たいから勉強を頑張ってみる。スポーツを頑張ってみる。絵を頑張ってみる。逆に登校拒否になってみる。反発してみる。カウンセラーになってみる。着せ替え人形になってみる。

全ての努力はもちろん報われることはないのだ。

 

その友人を、それでも気になってしまうのは、本人がひとつ山を越える一歩手前にいるからだと思う。

私もまだ全ての山を乗り越えたとは言えないけれど、大きな山、つまり「母親への怒りを吐き出す」という最初の一歩を踏み出しているからこそ、ビシビシ感じる。

 

友人は言う。

「何か、ずっと避けていた部分をそろそろ見せられる気がするんだ」「もう逃げられない所まで来ている」と。

そのためにもがいている途中なのだ。その自覚がある友人を、ただただ観察していこうと思う。

 

そうか。一歩だけ前を行く自分が、それは友人と五十歩百歩の位置の私だからこそ、味方で居続けることに意味があるのでは。たとえ友人が孤独になった時でさえ。

それは予備校や大学の研究室のチューターのようなものだ。少しだけ先輩の自分が、ヒントを少しずつ出して、友人が自分で答えを見つけて、自分の中から本音を引き出せるように気長に見守る役目。

 

と同時に私も自分自身も省みて、私自身の成長にも繋げていけるように。友人も、また私のチューターなのである。

 

そう。だから友人なんだろう。依存関係に陥り、もうそれ以上プラスには転じない関係だと思ったら、友人でも恋人でも縁を切ってしまうある意味合理的な自分だから。

瞬間的には周りのせいにしながらも「おそらく原因は自分の中にあるはずだ」という自問自答を決して諦めない友人だから、私は友人の隣にいるんだと思う。

友人のおかげで自分を見たり、自分が成長出来る。そして友人のちからにもなることが出来る。相互作用を生み出せる関係だから。

 

 

なるほどなー。書いていてやっとまとまってきた。

こうやって切磋琢磨出来るような友人がいることがすごく幸せだ。

そして、そうやって切磋琢磨できるパートナーに出会えたら良いなー。恋人じゃなくて、パートナーが欲しい。恋愛関係じゃなくて、人間関係を欲している。

その話はまた今度。

 

スッキリした!もうしばらく様子を見て、気にかけてみよう。