楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。フレイロマンティックアセクシャル。ノンバイナリー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

昨年は劣等感を手放したってことの振り返り。

自分の毒親について、パッと視界が開けてから約一年。

まだまだこころの中のパンドラから記憶が出切っていません。

が、段階が少しずつ進んできたことを感じているので、ここまでの過程をちょっとまとめておきます。

すぐ忘れちゃうので。

 

最初は、恋人と自分の関係が、母親と自分の関係を再現している!と気づいたところから始まりました。

共依存状態と、強い劣等感を感じさせ合う関係。

相手を無意識にコントロールしようとして、互いが疲れていく関係。

そんな恋人との関係を改善するという切迫した目的もあり、母娘問題関係の本を読み、セミナーを受けました。

 

小さい時に受けた様々な身体的な暴力は伴わない虐待。

この精神的虐待は厄介なもので、表面的には問題がないように見えるし、人にもなかなか伝わらないのが辛いところ。

だから「こんなに恨みを持っている自分が悪いんじゃないか」と思い、なかなか親への隠してしまった思いを吐き出せない人は沢山いる気がします。

 

でも、そういった抑圧を解くことの出来た人に背中を押してもらって、しっかりと目を向けることが出来ました。

 

自分で出来ない方はセラピーやカウンセリングに行くのも有効かと思いますが。

私の場合は、完全に一人になり、何を出しても安全なんだという環境を整えて、自分で自分のセラピストになるという方法で固く閉ざされたこころの中のパンドラを開けようと試みました。

10年ほど前の自分の中での前世療法やレイキ、瞑想ブームが役に立ちましたw

 

一番最初の段階は「自分が悪かったのではなく、親が悪かったのではないか?」と疑問を持つ、ということ。

私の過去の記憶を思い出す方法は2つ。

紙に書くことか、退行催眠(らしきもの)を行うこと。

そうして昔の自分を少しずつ思い出していきました。

 

最初は悲しくてしっかりと覚えている記憶を、追体験するという方法で。

父親が深夜に暴れだして、金切り声を上げる母親の声と、震えている小学生の時の自分とか。

見に覚えのないことを「お前がやったんだろ」と母親に責められて、薄ら笑いを浮かべながら見下して、母親にべったりくっつくような依存をしていた兄とか。その時の屈辱感とか。

 

そのコントロール下にあった自分がいかに自分自身を責めていたかをしっかりと思い出したら。

次にその時に隠してしまった感情を思い切って出してみました。

 

「実は家族が悪かったのではないか?自分は被害者だったのでは?」という仮説を新たに取り込んでみる。

するとパンドラの箱の蓋が開いて、怒り恨み、殺意と言えるほどの強い感情が湧いて出てきました。

「貴方は悪くない」としっかりと自分に呼びかけながら、心からの怒りを沢山吐き出して、涙として出しました。

そこから、抑圧して自分で深いところに埋めてしまった記憶も思い出していきました。

 

忘れたと思っていた記憶も、必ず残っている。

スピ系ブロガーの雲黒斎さんの言葉を借りれば「記憶は脳にあるんじゃない。魂にあるんだ」って感じ。ホントにそうだと分かりました。

 

ここで注意したいのが、「でもやっぱり自分にも悪いところがあったから、自分だけが被害者だと考えるのはよくないことだ」と思わないこと。

色んな人はこの思考が大好きですけどねwネットでもリアルでも沢山見ます。

誰かに怒りをぶつけることへの恐怖、抑圧が蔓延していることが鬱・自殺大国たる所以かなとまで思ってしまいます。

そうやって本来出すべき怒りを抑圧していること、それが問題なんです。

 

だからまずは素直に出す。

自分を責めたくなったら、大人の自分が子供の自分をしっかりと誘導して、また出す。

この作業は3ヶ月くらい続いたかな。

4月くらいから7月くらいだった気がするから。

 

忘れていたと思っていた悲しい記憶が蘇るうちに、同時に嬉しかった記憶が沢山蘇るのを感じました。

人に対して昔から平等に接する私は、クラスでちょっと浮いてしまったり、勘違いされやすい子たちをサポートしていた子供だったんだということとかね。

それこそどうでも良いように思える、駄菓子屋でガチャガチャをするときのワクワクした気持ちとか!w

 

悲しみや恨みを抑圧していると、嬉しいとか楽しいとかのポジティブな感情まで一緒に抑圧してしまうんです。

 

ドロドロと腐りきってしまった恨みつらみ殺意嫉妬…それらを出していくうちに、辿り着いたのが「親を許さなくても良い」という思いでした。

恨むこの気持ちを持っていていい。

その汚い気持ちも自分自身なんだ。

 

そう思えるようになったら、10年かけて自己啓発や心理学を学んでも取れなかった劣等感が綺麗さっぱり…とは言えませんが、小さく小さくなっていったのを感じました。

誰かが言っていた「『自信があるという状態』があるんじゃない。『自信がないという状態』がないだけだ」という言葉の真意が実感として分かりました。

自信がある人はいない。自信がないことが無い人がいる。

自信があると強く自覚している人は、もしかしたら自信がないから、自信があるという状態で誤魔化しているのかもなと思います。

自分もそうだったし。

ここらへんは分かる人だけ分かれば良いです。

 

そんな去年の前半でしたが、去年後半くらいから新たなテーマがやってきました。

それは「依存してしまう」という自分の癖。

それも外したい。

 

次回はその依存に関しての今の段階での気持ちを書きたいんだけど、先に怒りについて書こうかな。