楓の色づく頃に

双極性障害。休職中。レズビアン。ポリアモニー。乙女向け、男性向け両刀オタク。

イエス・キリストに会った話。

最近、瞑想を始めています。

 

で、目を塞いでそこに見える映像にフォーカスしようって瞑想があるんですが、そこで私はイエスさんとお話しました。

 

そこは河が流れていて、春のようなとても美しい場所でした。

 

そしてその河は私達の根底に流れている命、豊かさだと分かりました。

 

 

その河のほとりにイエスさんは座っていました。

 

想像していたのとは違って、ひげはすこしあるけど、頭は少しハゲていました(笑)

そしていろんなイメージ画とは違って、小太りでした。

 

「いつも見守ってくれてありがとうございます」

 

と私はイエスさんに言ったんですが、なんて答えてくれたのか忘れてしまいました(;´∀`)

 

 

そんなお話でした。

 

 

それともう一つ。

 

流れる美しい河。

 

時々逆流するんです。

 

それが自我に囚われている時の自分なのかなぁなんて思いました。

 

するとまた上流から下流へと流れていく。

 

このイメージを忘れないようにしたいなって思いました。

 

 

全ては自我のせい。

前回の続きっぽいですが。

 

『「いまここ」にさとりを選択する生きかた』の中にこんな言葉がありました。

 

(前略)頑なな自我に目覚めが起こるために、最初に必要なものは何でしょうか?

自分に対する疑問です。自我にとっての自分、すなわち思考に対する疑問です。

(中略)

私たちは自我ーーー自分の信じていること、自分の考えていることーーー を疑うことなく、自分以外の人の考えはすべて間違いに感じられるのです。

          『「いまここ」にさとりを選択する生きかた

                              やまがみてるお著 より引用

 

ここを読んだとき「あっ( ゚д゚)」と思いました。

 

もしかして今まで出会って来た人の大半がこの「自分以外の人の考えはすべて間違い」だと思ってたんじゃないか、と。

 

そして自分自身もこの自我との同一化が起きていたのではないかと。

 

だから私が精神疾患になったときの上司も、私を潰そうとしてきたおばちゃんも、自分だけが正しいと思って、私に接してきたんじゃないか。

 

私が彼らを間違っていると思ったから、鏡のように映し出しただけなんじゃないだろうか。

 

 

そう考えると合点がいきます。

 

ただただ私が考えていることが具現化しただけだったんだ。

 

病気になったのは「私だけが正しいのに、どうして間違っているなんんていうの」という自己憐憫、悲劇のヒロイン状態が内に向かっていってしまったから。

 

 

なーんだって感じです。

 

ずっと精神疾患にさせられたことを恨んでたけど、みんな多かれ少なかれ自我の同一化が起きている。

私もそれに飲まれていたから、自然現象として、宇宙のルールに従って起きたことなんだと。

 

土に種を蒔き、それが芽となり、木になっていくような自然なことだったんだ。

 

 

そうしたら恨みがスッと消えて、自分が引き寄せたことだから仕方ないねって思えるようになりました。

 

 

 上京してから、日々の生活に精一杯で、スピリチュアルなことにあまり関心を持っていなかった。

 

そしたら自我の同一性、自我に振り回される自分になってたんだなぁ。

 

7年かけて、改めて自我に振り回される人生を歩んできたんだ。

 

それで今、自我を俯瞰出来るように練習しようと思っている。

 

そうすると自我はそれを拒否するんですよねぇ(;´∀`)

 

今も「私が正しい」だの「さとってもどうにもならない」って暴れてますw胸のあたりがもやもやしてます。

 

でもそれも見つめるだけ。いつかは自我が負ける時が来るのを知っているから。

 

それまで自我を見つめて、瞑想をして、本を読み返していきたいと思います。

 

 

本当の自分で生きたいから。

 

良いことを引き寄せていきたいから。

 

より心も物質も豊かになりたいから。

さとりをひらく

前世療法の本を読みました。

 

人生の法則: 3,000人の前世療法から明らかになった真実 一宇 ichiu 

https://www.amazon.co.jp/dp/B01LY9V8GG/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_hOdmCb2ZR21HE

 

で、読みながら私は何を果たしたくてこの世を選んだんだろうと思いました。

 

私が今まで傷つけられてきた人に共通するのが「自分が正しいと思っている」人。

 

じゃあ私は何をそこから学び、何の目的を持っているのだろうと考えました。

 

 

結論から言えば「あ、さとろう」って感じw

 

つまり自分の杓子でしか物を見ず、相手がそこから外れていればその人はバツであると思わない人になろうと思ってここに来たんじゃないか。

 

結構自分も自分の正義を振りかざす人間で、思い通りにならないことに一喜一憂したり、不幸ぶって人からの同情を買う人間なんですね。

 

そこを改めなさいよって言われているんだなーってなんとなくわかって。

 

 

で、長距離バスの中で買った本を読んで、さとりを実践していこうと思いました。

 

「いまここ」にさとりを選択する生きかた やまがみてるお 

https://www.amazon.co.jp/dp/B0739Y6LB6/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_wbemCbEJEFFQ7

 

この本では、自分は宇宙の中の氷山の一角でしかない、そのことに気付きながら生きることを目指していこうという趣旨のもの。

 

また、今までの学習から反応するのではなく、俯瞰して人生を生きようといったもの。

 

今までもこの手の本はたくさん読んできたのですが、病気になってから久々のスピリチュアル本だったので、いろいろウロコが落ちました。

 

そういえばキンドルに雲黒斎さんの本も入ってたな。それも読もう。

 

 

ずっと障害者年金と、就職のことが頭にこびりついていたんですよね。いまここを生きてなかった。

 

いまここを生きていないということは、思考に振り回されている状態。

 

そうじゃなくて、全ては表層意識の奥にある完璧なワンネス、神さまにお任せしていれば大丈夫なんだってこと。

 

それを思い出しました。

 

 

私がスピリチュアルにハマって、さとりの一瞥を経験していたのに、また前の状態に戻っていたんだなぁと気付きました。

 

阿部敏郎さんの本も買いました。届くの楽しみ。

 

いまここに任せていれば、どんなことでも上手くいく。

 

ただそれだけなんですよね。

 

その時その時を生きていれば、直感に従って生きてさえいれば、人生は辛いこと悲しいことはあれど、困ったことは起こらない。

 

すべてが○なんですね。

 

それに気づいたらふっと気持ちが楽になって、楽しくなりました。

 

楽しいって感情も大事で、楽しくやれることがその人のやるべきことなんですよ。

 

苦労はしてはいけない、とは斎藤一人さんの言葉ですが、楽しく生きる。

 

そこを目指して、今年は生きていきたいと思います。

例の事件で思い出したこと。

5才児が殺された事件で思い出したことがありました、かえでです。

 

トラウマある方は回れ右でお願いします。

 

 

うちの父親は普段は優しいけど、酒を呑むと暴れるタイプの人間で、いつブチギレるか分からない人でした。

 

何個グラスやお皿が割れたか分からないし、壁にも穴が開いていました。

 

手は出さなかったし、母親に怒りをぶつけていたけど、小さい子供からすれば十分あれは精神的虐待だったと思います。

 

20歳過ぎて父親に「あなたから殴られたことはなかったけど、深夜に大声を出されたり、食事中にいきなりキレることは、私にとっては十分な虐待だったと思っている」と伝えたことがあります。

 

だいぶショックを受けていたようですが、自業自得だと思っています。

 

 

小学校2年生くらいのとき、父親のブチギレが酷かった時、母親が離婚を考えているという話を聞いて、兄(その頃はまだ私と仲が良かった)が手紙を親に書くというので一緒に書いたこと、それを今回の事件のニュースを見て思い出しました。

 

皆あのニュースを見て、かわいそうとか、泣いたとかの感想が多かったんだけど、私は全然そういう感情は湧いてきませんでした。

 

「ああ、そういえば私も同じようなことをしたな」と思い出しただけです。

フラッシュバックも起きませんでした。大人になってからだいぶ、昔のことを思い出して、噛み締めて、飲み下したからかな。

 

 

本当に愛情があるのは、親の方ではなく、子供です。

 

子供から親への愛情が無条件の愛です。

 

父親からは妻代わりの愛情を得る対象だったり、母親からは精神的なサンドバッグにされていました。

 

私はそういう環境で育ちました。

 

 

私が中高の頃は、父親は家に寄り付かなくなり、兄と母親は依存しあって、私の陰口を叩くようになりました。

 

その頃のトラウマで、会社にいた頃、誰かが遠くで話していると「自分を悪く言っているのではないか」との被害妄想がありました。

 

病気を発症してからは特に顕著でした。

 

今もそれは残っているので、その部分は、これから癒していく課題かなと思っています。

 

 

親から受けたトラウマは根深いもので、そういう事件を耳にすると、また新しく思い出すことがあったりして、また一歩前に進めるなって思えます。

 

その時どんな気持ちだったのか、本当はどうして欲しかったのか、その黒い部分を見つめることで、そのトラウマは消えていきます。

 

カウンセラーさんを利用することもあるけど、私はだいたい自分を睡眠状態にして、その頃のことを追体験して、感情をどばどば出して、思いグセや認知のゆがみを取ることが多いです。

 

普通の真似しないでね、危ないからw

私は特別な訓練を受けていますw

 

 

あのニュースを見てかわいそうとか、悲しいとか、ひどいって思える人は幸せな家庭で育った人なのかなと思いました。

 

親は子供が可愛いのが当然というのも、仕事してたときにおばちゃん社員によく言われていましたが、そういう家庭ばかりではないんだけどなぁと思って聞いていました。

 

あのニュースを見て、私が思ったのは、もっと早くに母親に「離婚してもいいんだよ」って言ってあげるべきだったなってことです。

私を追い出してすぐ離婚したから、ああ良かったねとは思ったんですけど。

 

実際良かったねって母親には言いましたw

 

きっと私が家を出てからも、母親へのブチギレは治らなかったのでしょう。

 

 

一家離散という状況にはなってしまいましたが、私はこれで良いと思っています。

 

お互い干渉しない距離で、平和を保てる距離。

 

それが今の私の家族の状況です。

 

今がしあわせだから、このまま平和でいられたらいいなって思います。

主治医が変わりました。

最近ちょっと不安定です、かえでです。

 

主治医はまさかの女医さん。しかも院長。

 

さくっと終わるタイプのサバサバした診療でした。

 

うーん。三回くらい見てもらわないとまだ分からないよね。

 

ちょっと冷たくも感じました。

 

年金の話とかも相談できるのかなぁ。

 

まぁ、まだ1年近くあるからそこは見極めて行こうと思います。

 

 

でも処方は的確な感じです。

 

おくすり貰えるだけで、仕事のことはカウンセラーさんに相談ってパターンになるかな。

 

それでもいっか。使い分け。

 

とりあえず先生は悪くない感じでほっとしました。

主治医、病院辞めるってよ。

ということで、来月くらいに主治医が変わるらしいです。

 

どうしても一番辛かった時に診てくれていた先生なので、家帰ってメソメソしてました(´;ω;`)

 

でもこれから仕事を始めるから、曜日も変えてもらわなきゃー、むしろ職場近くの系列店の方が遅くまでやってるからそっちに移れたら良いなーなんて思っていたので、そういう時期なんだと思います。

 

今の私はツイキャスにお熱でw図書館通いはサボリ気味なんですが、先生がいなくてもちゃんとしなきゃって思えるようになりました。

 

うん、タイミングなんだろうな。

 

うちの家庭環境も付かず離れずの良い距離感で理解してくれた先生なので、とてもとても惜しいんですけれども。

 

でもそれこそツイキャスで自分の好きな動画見ながらヾ(*´∀`*)ノキャッキャしてたら、元気出てきた。

 

 

人と触れ合うと癒やされるんですよねー。

 

ありがたいありがたい。

 

凹んだけど、回復も早くて嬉しいね。

 

だから私は接客業をやっていたんだよなー、そういえば。

 

今は事務とかが体力的に合ってると思うけど、また接客業に戻れたらいいなって思います。

 

 

21歳くらいからずっと接客業だったからね。10年以上だもん。

 

言葉に出来ない思いを代弁して、相手を安心させることが私の得意なことだから。

 

それだけは続けていきたいなって思います。

 

今すぐじゃなくてもね。

 

 

それまでは生き抜いていきたいと想います。

 

明るい精神疾患者と名乗ろうw

 

友達がよく「明るい不登校」と言っていたので、彼女と今は立場が逆になってますが、そうやって持ちつ持たれつ生きていければなと思いますよ。

芽の出る頃はなんとやら。

なんだか低空飛行なかえでです。

 

図書館通いもちょっとサボり中。

 

たまに行っては3~4時間勉強することは出来るのですが、なんだかぐったりして動けないこともしばしば。

 

なんだかね、そんなときもあるわね。

 

 

今ハマっているのはNANAというマンガ。

 

電子書籍で買っていた13巻までを読み終わってしまったので、またちまちま買い始めています。

 

未完で、途中で連載休止中なんですけどね。

 

これは終わることがあるんだろうか。

 

 

天気が安定してきたら、また元気が出ると思うので、それまではぼちぼちと行きたいと思います。

 

波があっても、あまりそれに反せず、少しだけ頑張って動いて、乗り切るしかないのかもね。

 

でもガクンっと落ちているわけじゃないので、そこは前とは違いますね。ありがたい。